C8−1:高齢化社会と経済問題に興味を持つ公務員です。新聞記事等の話題を中心に職場の有志で経済学の勉強をしています。
近年、迫りくる高齢化社会に備えて医療・介護・年金をめぐる社会保障制度改革の必要性が叫ばれている。つまり、急速に進行する少子高齢社会と低成長時代を迎えて、従来の制度自体が持続不可能になるのは明白である。そこで年金では社会保険と一般税(消費税)、また医療と介護ではそれに自己負担が加わる組み合わせが現実的である。特に消費税の目的税化によって賄えば、国民各層による広く浅い負担が可能となる。現状だと約8%に相当するが、その結果、基礎年金と介護の保険料の平均月額1万6千円が不要となり、厚生年金の積立金の返還も可能になる。消費税は所得逆進的と批判されるが、所得捕捉が不透明な所得税や、基礎年金が定額の社会保険料に比べ、どれほど逆進的であろうか。また所得のない学生からの保険料徴収は不要になり、3割以上が不払いとなっている基礎年金の破綻は回避できよう。安易に問題を先送りして将来世代につけを回すのではなく、国民的合意に向け議論を急ぐべきである。
このような論議が提起されています。確かに、将来の社会保障制度の不透明な現状から考えると、安定した財源を確保し、将来への不安を解消することは、重要な問題だと思います。しかし、租税制度の直間比率を消費税へシフトさせることは、累進課税構造が持つ、自動景気調整機能を阻害するだけでなく、国民の消費意欲まで減退させるのではないかという懸念が生まれます。もともと、低金利政策をとっても、なかなか投資が伸びない昨今の経済情勢を考えると、消費の減少は生産と労働需要を下げてしまいますから、なおさら国民所得を伸び悩ませてしまう結果になると思います。問題が大き過ぎて想像もつきませんが、公共投資すら当初の効果が期待できない現在の日本の経済状態にかんがみて消費税率を上げる選択は、マクロ経済学の立場からはどのような問題があるのでしょうか?ご意見を頂ければ幸いです。
R8−1:ご趣旨はよく分かりました。現在の日本社会が抱える福祉問題に真摯に取り組まれている様子が文面から伝わってきます。しかし、まことに申し訳ないのですが「電脳経済学」のホームページでは、ご質問のような現実問題に直接的にお答えすることが出来ません。なぜなら、電脳経済学は経済学のメタ理論(基本的な考え方)を試案として提供する目的で構想されているからです。ただし間接的に推論を述べれば次のようになります。
文面の論旨は、近未来における少子高齢化社会に備えて消費税率をアップして福祉目的税化することの是非をマクロ経済の視点から問われている、と理解します。ご提起の問題は「制度疲労」から発生していると思われます。福利制度は社会的弱者をめぐる社会問題と経済問題の混合体ですので、まず両者の分離を試みます。このことを経済学の基本に立ち返って考えてみますと、現在の各種制度は政府が税として国民から労働の成果を「強奪」し、一方では政府が国民に社会保障として恩恵的に「贈与」する仕組みです。これでは当事者である国民の意思が反映されませんから、当然のことながら合意を得ることも出来ません。
政治がこれに枠組みを与えるとしても、それは社会問題を政治問題と呼ぶだけのことで国民経済的な解決策とはなりません。一挙にとは申しませんが、方向としては「交換」主導の社会を目指すべきだと思います。ここに交換主導の社会とは、自己責任や自己規律を尊重する自立的な社会を指します。日本の社会組織は家族関係の延長線上に形成されていますので、どうしても相互依存的になりがちです。つまり福利問題も親子関係の文脈で処理されてきましたので、経済や自己責任の考え方に馴染みませんでした。さらに、社会的弱者の存在と救済を前提に問題が設定されていますが、社会的弱者の発生防止にも力点が置かれるべきでしょう。さもなくば、この問題は永久に解決できません。
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考察の助けとするために図ct08ライフサイクルのモデルを用意しました。図ct08において人生80年とすれば働けるのは中間の20-60才の間だけで、前後の20年はその準備と後始末です。20-60才の間は自身が喰ってゆくだけでなく赤枠で上乗せしたぶんも稼がないと、人生80年は完結しません。80年の間には経済変動もあるし、過去80年の間に日本人の平均寿命も大幅にのびました。加えて日本社会の成熟化にともなう高学歴化、少子化などの要因も重なって問題を深刻にしています。これでは質問に答えていないとお叱りを受けるかも知れませんが、政府当局者はこのような背景や必要性を克明に説明されれば日本国民は教育水準も高いので理解も協力もすると考えます。消費税アップで福祉目的税化して財源の安定確保を図るのはあくまで当面の対症療法としたうえで、長期的かつ本格的な福祉政策が国民的合意のもとに確立されるよう望みます。この場合、しがらみのない外国のコンサルタンツに分析を依頼するのも一つの現実的な方法かも知れません。経済の低迷は構造改革の取り組みの問題であり、それはまた当事者の意識改革の問題と同義になります。いずれにしても問題が巨大複雑になればなるほどさらなる原理原則に立ち返る必要があると考えます。