1.梗 概
<1> あるいはそうであろうと思われるさま。⇔必然。(広辞苑)
<2> 現象や知識に関する確実さの度合いを指す。(哲学事典から引用して修正)
<3> ありそうな、ありうる、もっともらしいこと。統計上の知見や状況判断から起こりそうなこと。(電脳経済学)
<4> 偶然と必然の中間領域 《偶然⇔蓋然⇔必然》。(電脳経済学)
<5> そうかも知れないし、そうでないかも知れないけど、何とか判断しなければならないこと。(電脳経済学)
<6> 情報不足の状況にも拘らず判断を迫られる事態。(電脳経済学)
<7> 蓋然性を巡る量子論的解釈。(電脳経済学) (追加:2014/08/06)
2.説 明
(1)蓋然は公算とも呼ばれ哲学、数学、裁判等の分野に現れ、蓋然性や蓋然判断のような熟語形式をとる場合が多い。因果関係において可能だが必然とまではいえない事象に用いられる。蓋然に対応する英語としてprobableを挙げたがこれは権威による裏付けを示唆するのでprobability、possibility、likelihood、certainty等との対比から語意を掴む外ない。蓋然性を表すprobabilityの方が馴染みが深いけどprobabilityは数学・統計用語で確率を意味する。とにかく外来語は原文での語義確認を要する。因みにproblematicは論理学用語で蓋然的な(可能的だが必然的には真でない)を意味し、蓋然判断はproblematic
judgementとなる。 合理的な信念決定法を目指す文脈において確率論的認識論の領域といえる。
(2)従って、蓋然に対応する日常用語は確実性/不確実性が相当する。身近な事例として天気予報を挙げることができる。数量化可能であれば確率計算が可能になり実際に最近の天気予報では確率の用語が用いられる。一方、社会現象については選挙の予測で当選確実と呼んでも確率では表さない。上記<4>との絡みで追加すれば自然現象に偶然はなく必然のみである。観測や分析などの人為介入や知識に限界があるので社会現象には蓋然概念が現れる。
(3)環境問題の場合には人為と自然の要因が混在するので因果関係は更に錯綜してくる。
(4)ここで蓋然が通時的である事実を確認したい。つまり因果関係が前提−推論−結論の過程を踏むとすれば蓋然は推論過程に対応する。この因果関係を過去-現在あるいは現在-未来の時系列に適用すると方法論/認識が上記の推論に相当する。これは考え方や思想ともいえる。人間は考え方に基づいて前提を選び取りそれを事実と称して逆に自身の考え方を正当化する心癖がある。最後は数学に逃げ込み孤立化する人もいる。
(5) 上記(4)冒頭にある蓋然の通時性との関連からシミュレーション(模擬実験;模擬発生)について追加する。シミュレーションとは複雑な問題を解析するためのモデルによる現実再現をいう。モデルは従来の物理的装置に代わり近年ではコンピュータ利用が主流である。過去-現在の関係からモデルのパラメータを決定・検証して現在-未来の関係に適用・予測する。この文脈において人間の学習や経験は
ヒューマン ブレイン シミュレーションであり人工知能(AI)も目標をここに置く。これが推論から思想への根拠であり、既存の哲学や宗教にも成立した背景がある。
(6) 様相論理学によれば蓋然は主概念と述語概念との間が可能性によって結ばれる判断形式の一つとなる。これを敷衍すれば前記(4)となる。
(7) 量子論を援用すれば蓋然はミクロな波動が重なり合った確率分布として表現できる。この確率分布が集中すればマクロな実在現象が出現する。両者の関係性を同時に捉えることのできる感性はしばしば霊性と呼ばれる。上記(1)で述べた蓋然(probable)と確率(probability)を巡る結合関係の解釈試案として追加した。(追加:2014/08/06)
3.予備的考察
(1)誰の場合も人生の節目では情報不足のもとで重大な判断を迫られる。つまり進学、就職、結婚、病気等での決断は蓋然判断を余儀なくされる。人間は絶対確実な認識には達し得ないので不確実性を前提とする選択はむしろ日常的である。結語的にいえば、選択の余地があるとは蓋然判断が求められていることでこれは自由と同義であり実存や倫理に繋がっていく。
(2)蓋然性が確実性程度を表すならば確実とは何かとなる。確実とは確かで疑い得ぬことを指す。それが主観的であれば単なる個人の確信や思い込みともいえる。一方、客観的とするには普遍妥当性のある根拠が要請されこれは科学的/実証性とほぼ同義である。後者が前者に集約され社会的に認知されれば権威となる。つまり権威とは正しい判断が出来る人を指し、その結果として服従を要求できる社会的な権力となる。
(3)このような予備知識を基にして裁判官の判断権について具体的な事例に照らして考えてみよう。裁判官が唐突に現れた理由は次による。時の流れを過去−現在−未来に区分してこれを国家の統治権に対応させれば司法−行政−立法となる。各機関における権力濫用を防止する関係は三権分立として知られる。司法には司法試験があり行政には公務員試験があり立法には選挙がある。これは夫々が職責上備えるべき判断能力を客観的に評価する社会的な仕組みである。現行憲法によれば国家の統治権を巡る最終評価は最高裁判所裁判官の国民審査となる。
(4)司法裁判は大きく民事裁判と刑事裁判に区分される。ここで民事とは私法(民法・商法等)上の法律関係から生じる事柄を指し、民事裁判とは民事に関する事件を審理する裁判である。一方、刑事とは刑法の適用を受けて処理される事柄を指し、刑事裁判とは犯罪の有無を審理しその責任者の有罪・無罪を判断する裁判である。上記において私法に対応する公法(憲法、行政法、刑法、国際法等)の用語がないけど、これは戦後日本には行政裁判制度がないためである。つまり私法と公法を区別する基準がないために日本では私益と公益あるいは私権と公権が往往にして混同されている。
4.暫定結論
(1)方法論の形式化を示せば。
@ 社会現象を自然現象と同列に扱う。なぜなら科学の要件は普遍性とするから。
A それには先ず現実を肯定的に認める。つまり実相の受容から今直ぐ出発する。
B もし異議があれば、その意識状態に至った要因を遡源して、因果関係を解明する。
C BからAへ復元する方法論を自ら考えて実践する。
D 自身の解放はAと同義になり、爾後の目的論は各自設定となる。
(2)目的論の対象事例を挙げれば。
@ 諫早湾干拓問題
A 原子力発電問題
B 経済格差問題
C 憲法改正問題
D 歴史認識問題
5.参考資料
(1) 『哲学事典』
林 達夫ほか監修 平凡社 p215
(2) 『岩波哲学・思想事典』
廣松 渉ほか編 岩波書店 p207