電脳経済学v3> g自分学> 1-3-2 楽天的な成功意識をもつ
この世のことは笑ってすませることばかりです。それにつけても日本人は勤勉な国民性のなせる業でしょうか、概してユーモアやエスプリ精神に欠けるようです。次のエピソードはルーズベルト大統領と新聞記者の間のユーモア溢れるやりとりです。
記 者「いらいらしたり、悩んだりしたとき、大統領はどんな方法で、気持を落着けますか」
大統領「そうだね。きっと口笛を吹くだろうネ」
記 者「でも、大統領が口笛を吹くのを聞いたことがありませんけど……」
大統領「そうだろう。まだ口笛を吹いたことはないからネ」
使命感に燃えて重大な任務についているとき、人はいらいらしたり、悩んだりしない。これがこの逸話のオチと思われます。
イギリスにおいても、貴族であるための条件は「いかなる困難な状況下にあっても、まず楽天的であること、そして勇敢であること」とされています。
難局に直面しながら楽天的であれとは酷な注文のようですけど、さもなくば適確な判断は下せません。「死中に活を求める」ことのできるような人でないと、本当の仕事を任せるわけにはいかないのです。
この現実世界を注意深く観察していると、あらゆる場面でせめぎ合いが演じられていることに気づきます。たとえば、日常の社会生活をみても、何事にも推進者と反対者がいます。いわゆる体制派と反体制派がそれです。夫婦ゲンカにいたっては朝晩のことです。物事はそれが良いことであっても、すんなりとはいかないのです。このような場合、私たちはどのような態度でことに臨めば良いでしょうか。それは、自他肯定の基本原則の上に立って、長期的・全面的な遊戯を展開することです。私たちの生活は、それが政治であれ、経営であれ、終りのないゲームとみることができます。楽天主義とは、この手のこんだゲームを楽しもうとする態度にほかなりません。それは安逸でも、怠惰でも、逃避でもありません。むしろ徹底的に戦い抜く姿勢です。一途に思いこんだり、早まったりしないということです。
敵があることは自身の強さの証明ですから、そのことによって自身の価値を低く考えてはいけません。敵がいることはとりもなおさず自身の存在が認められていることとなります。一瞬たりとも戦う姿勢を崩さないことです。問われているのは戦い方にあるのです。
人間は社会に相反する二つの要求をもっています。父親的権威である「優越」の要求と母親的受容である「親和」の要求がそれです。現代的要求と封建的要求ともいえます。双方の要求を最大限に満足したいと願って、人間心理はいつもこの間を揺れ動いています。優越と親和、発展と安定、社会性と個人性、それを何とよぼうとも、最終的には女性的なものが勝利者となります。それは永遠につらなるからです。これを承知の上で戦うのです。
ここで意識のもち方はとりわけ大切です。確かな目標をかかげ、それに対する成功意識をもち続けることです。この成功意識は妨害が強ければ強いほど、孤独になればなるほど堅固になるべき性質のものです。「女は弱し、されど母は強し」とは、このことをさしています。母親は情況が悪くなればなるほど、わが子をしっかりとだきしめます。それは責任感という次元を超えて、いわば人類の生存をになっているという本能的な使命感に由来するものです。その気迫があれば、そこに迷いも、悩みも、恐れもまぎれこむ余地はありません。何しろそのために生きているわけですから。成功意識とは、まさにこの“生を信じる”完全燃焼の態度にほかなりません。
私たちの日常生活はこれほどの極限状態ではないとしても、基本的精神はそうあるべきでしょう。芸術家や科学者の中には、自らをあえてそのような情況に追い込むことによって偉大な業績をあげている人も数多くみられます。
次に日常的な戦いでは、成功意識のほかに問題意識があります。そもそも戦いはこの問題意識から発したものです。ここで問題意識とは、短期的・部分的な成功意識をさします。そのうちに解決するさ、誰でもやっていることだ、その時になれば道は開けるものだ、今に誤解もとけてわかってもらえるさ、このような一種のひらき直りも大切です。心に曇りがなければ、人間の判断には確かなものがあります。自らを信じて、深刻に考えたり、詳細に分析したり、厳しく追求したり、このような態度をとらないのが楽天精神です。大河の流れのように、悠揚迫らず、春風駘蕩、天真独朗、口笛でも吹いて、鼻歌でも口ずさんでいればそれでいいのです。心配は心配症の人に任せておくに限ります。楽天的とはこのような心構えをさすものです。
ところが現実には誰しもこのようにできません。あれこれ迷い、くよくよ悩んでしまうのです。どうしてでしょうか。悪い事態を予想して、自らその暗示に落ちこんでいくのです。物事は疑惑の眼でみればすべて疑わしくみえてきます。すべてのものが恐怖の対象になることができます。
戦いを避けて妥協してしまうからです。おそらく駄目だろうとする態度です。戦いを避ければ、その時は平穏に落着したかのようにみえます。しかし実際は心に屈折感を残したまま、問題を先送りしただけのことです。それでは事態は悪くなる一方です。我慢に我慢を重ねることは、この屈折感を潜在意識に押しこんでいることであり、早晩破綻を招くことになりかねません。
潜在意識という自分の畑にどのような種をまくかによって何が実るかは定まります。この種とは何を思うかにほかなりません。私たちの意識がそのような構造になっていることはむしろ当然のことと思われます。つまり成功を思い続けていれば成功が、恐れをいだき続ければ恐れたことがそのまま現実となります。
他人のもっている長所や美点を、素直な気持で認め、かつ称えることによって、自分も潜在的にもっている同じ長所や美点が徐々に引き出されてきます。
感謝の気持をもって、楽天的な態度で現実を受けいれる。これはそう困難なことではないと思われます。モノは考えようです。古代ギリシャの哲人ソクラテスにその態度を学ぶことができます。
ソクラテスの妻クサンティッペといえば、悪妻の代名詞としてつとに知られています。その当時でも、その悪女ぶりはあまりにも有名でした。それで人々はソクラテスは結婚にもうこりごりしているのではないかと思っていました。ところがソクラテスは若い男女に次のように説いてまわるのでした。「結婚しなさい。結婚はすばらしいものだ」「良い妻をめとれば幸福者になれるし、悪妻をめとれば哲学者になれるからね」