電脳経済学v3> g自分学> 2-4-4 ただ今日という日が続くこと
フランスの大彫刻家ロダンに次の言葉があります。
「美というものはいたるところにある。ところが、それに気づかないのは、美がわれわれの目にそむいているのでなく、われわれの目が美を認めそこなうのだ」
ここにある「美」の代りに「魅力」「人材」「価値」「真理」「幸福」といった言葉をあてはめますと、そのまま味わいのある文章になります。
他人の魅力を自然に感じとることのできる人は魅力ある人です。人の才能は才能のある人にしか見えません。同様に、他人の幸福を素直な気持で祝福できる人が幸福なのです。
「価値は相手の要求によって定まる」という経済の言葉があります。価値ある人間にかかったら何もかも価値が出てくるのです。値打ちのない人間にかかったら、何もかも自分さえも値打ちがなくなってしまいます。
ところが私たちは本当のところ自分自身については良くわかっていないのです。自分は対象に写し出さないと見えないのです。たとえばここに一輪の花があるとしましょう。花自身は美醜を超えたものです。花は人間の気持に関係なく、花自身の論理で咲いているだけのことです。花が美しいのではなく、花を見る人の心が美しいのです。心がそれに感応するからです。同じ音楽を聞いても楽しいと感じる人も、うるさいと受けとる人もいます。同じ人でも時によって感じ方は違うものです。
このような心は「美的感覚」から出てくるものです。美的感覚はまた“自分を大切にする気持”から出てきます。生命感覚といってもよいでしょう。人間は誰でも心の底で永生を願っています。自分を永遠にしたいという気持は、あらゆる要求の根底をなしています。美的感覚はその現れにほかなりません。
人の命も、花の命と同様、限りあるものである以上、それを永遠にしたいと願うのは、人間の自然な感情といえます。それはむしろ本能的衝動といえるものです。芸術家はその作品を通して自己を表現し、かつ永遠にすることができます。母親はわが子を通して自身を永遠にすることができます。
私たちの場合も、自分を誰かに何らかの形で託することによって永遠にできます。誰かとは、わが子であり、後進であり、より広い意味では社会であります。社会は自分をそっくり映し出す鏡であるとともに、原寸大の舞台として自己表現の場を与えてくれます。さらに自己実現とは、この現実社会の中に自己をとかしきることをさすものです。その場合、社会に対する全幅の信頼と、人間に対する純粋な愛情なしに、完全な自己実現もまた望めません。
先に述べた平衡感覚が社会に対するものとすれば、美的感覚は永遠に対応するものです。このことは男性原理と女性原理といえるものです。この両者を統合する原理がエロスです。エロスといえば、最近ではエログロ雑誌に押されてかたなしですけど、本来の意味は次のようなものです。
エロスは、元来ギリシャ神話の愛の神です。神々を生みだす神であり、混沌の中から秩序を生みだす原動力です。男性と女性を結びつけて新しい世代を生みだす愛の力です。先に述べた“結合する”力の元祖といえます。プラトンはエロスを、真善美といった窮極の価値の世界に到達しようとする衝動的な生命力としました。
アメリカの精神分析の権威メニンガー博士は「神の本質を追求することと、母親の本質を学ぶこととの間には、はっきりした類似点がある」といっています。母親から生れてこない人は一人としていません。母親の本質とは“母親的”というより、むしろ“母なる”ものをさします。母なる大地、母なる大河がそれです。それは生産的かつ永遠なものです。私たちは母なる自然と、父なる社会の間で生きているといえます。
「世間を知り、それを軽蔑しないことだ」といったのはゲーテです。私たちは「世間の人」として、世間が「貧富貴賎」「毀誉褒貶」「吉凶禍福」といったものによって動いていることをよく知りながらも、自身はこれらに流されることなく平気でおれる人でありたいものです。鳥の歌うが如く、花の咲くが如く「自然の子」として生き続けるのです。
朝日に手を合わせ
今日の無事を祈り
夕日に手を合わせ
今日の無事を感謝する。
安らぎのうちに
ねむりにつき
喜びに満ちて
目覚めを迎える。
幸福とは、そのような今日が続くことではないでしょうか。
人類の歴史は男性の歴史であるといわれています。果してそうでしょうか。女性は記録に表われていないだけで、陰の部分で、歴史を支えてきたものと思われます。歴史があること自体がそれを証明しています。ただ、女性がもてる能力を出しきっていなかった。このことはいなめない事実といえます。
しかし、今日では、女性の社会進出の環境条件が整ってきました。望まれることは、女性が単に男性の代り、あるいは男性に伍していくのではなく、女性ならではという独創的な発想によって、新しい何物かを産み出していくことであります。女性文化の時代が到来しているのです。
日蓮聖人は女人禁制の当時の仏教界にあって「矢のはしることは弓の力、雲のゆくことは竜の力、男のしわざは女の力なり」といっています。女性は自身の力に加えて男性の力を引き出す力もあります。
歴史が困難な局面にさしかかってきている今日、その社会発展は、いつに聡明な女性の社会参加によって、新しい価値観の世界が開かれていくか否かにかかっているように感じられます。