勢よく書き出してはみたものの、自分自身で混乱してしまって、内容、文脈、結論ともに、はっきりしないものとなってしまいました。当初からこれらのツメが、不十分であったことを反省しています。
この上は、読者各位のご好意によって、行間を補っていただき、ご叱正、ご批判をいただくほかありません。
ここに及んで舞台裏のいいわけも、心苦しいところですけど、出版の約束のあとに、筆者の海外出張予定が早まってしまったために、どうしようもなくなりました。ツナ渡りのようなことは、割合と慣れているので、何とかなると思っていたのですけど、それは自分の職業に関してのことであって、見通しが甘かったようです。
今回は頁数の都合によって、下書き原稿の前半に限らざるを得なくなりました。後半では現代の具体的な問題、それらは科学技術、価値の多様化、人問の意識と感情、教育のあり方、発想法などを予定していました。
今回、時間的制約によって、いいつくせなかった点とあわせて、後半のつみ残し部分については、いずれ稿を改めてまとめてみたいと思っています。
外国をさ迷って歩いていると、人間というものが、どこまでが共通していて、何が異質なのか考えこんでしまうことがあります。それは、本文では「業」つまり記憶としましたけど、それにはまた「風土」という自然の影響が大きく働いているように思われます。
人間はつきせぬ関心の対象であるとしても、自身も人間業の身であるために、しばしば人間らしさを発揮してしまいます。筆者自身の過去をふり返ってみるとき、各方面におかけしたご迷惑はおびただしいものがあります。この紙面を借りて、今日まで暖かく育てていただいた、富山県、農林水産省、三祐コンサルタンツを始めとする、関係の方々のご厚情に深く謝意を表するものであります。
昭和六十年春
著 者