C16:論文興味深く読んでいます。私はかねがね「貴族制度(血統)→封建制度(身体的力)→資本制度(蓄財した金の力+知力)」という風に歴史が流れていると考えています。次の時代に主流になったのは前の時代には蔑まれて いた階層でした。現代の「情報制度社会」で力を持つようになるのはコンピュータ関係者でしょうか?それとも彼らは車のメカニック専門家や医師のような必要不可欠な特殊技術者として存在するだけでパワーの担い手にはなり得ないのでしょうか?ご意見をお聞かせ下さい。何か思考の参考になるサイトなどありますか?(NY:USA)
R16: 上記のコメントをいただいて、ほどなく米同時多発テロ事件が発生しました。いろいろと大変なことが多かったろうと、心からお見舞い申し上げます。一方、私の方はこの時期が報告書の最終取りまとめ期限と重なり、ご返信が遅くなりました。したがって、参考になるサイトをサーチする余裕もありませんでした。この点について最初にお詫び申し上げます。(para1)
貴コメントと
21世紀初頭のこの歴史的事件を時系列的に照らし合わせながら、私なりに考えを巡らして次のような展望に到達しました。まず貴コメントは、マルクスの唯物史観(マルクス理論の基本構造 c45-3)に対応させて捉えることが出来ると思います。
ある社会において支配的地位を占める階層や、そのための装置としての制度が時代とともに移り変わってゆく。これをマルクスは原始共同体的→古代奴隷制的→封建的→資本主義的→社会主義的→共産主義的と捉えています。
一方、貴コメントのような切り口から見た時代区分もあり得ると考えます。(para2)
要するに、その時代区分が検討された目的性の文脈が問われます。マルクスの主張は共産主義社会の到来が歴史的必然とするもので、それを原始共同体的社会に回帰させています。貴コメントの
論点は現代を「情報制度社会」と捉えることの是非にあるようです。
結論的に申せば「情報」は、あくまでツールであり、たんなる接頭語と見るべきでしょう。情報概念そのものは社会構成の中心思想にはなり得ないと私は考えます。この点については貴コメントでも触れられています。物理概念的に言えば、マルクスは「物質」を中心に据えましたけど、それを「情報」と置き換えたまでのことです。(para3)
それでは、何がこれからの時代の中心思想になるかと問えば『多様性』あるいは『意識』だと思います。多様性とはさまざまな価値観を受け容れる態度を指します。それは寛容であり妥協であり「負けるが勝ち」の逆説的な考え方です。一方の意識は内的世界を意味し、しかもこの両者は通底関係にあります。ここで「情報」は必須であり、かつ
その持つ意味は深長と言えます。
社会階級としては「行動する知的エリート集団」とでも呼ぶべき職業的専門家群がこれからそれぞれの分野で形成されてくると考えます。逆に言えばそのような代表を送り出せない組織や社会は淘汰されて行くと見ています。
この職業的専門家群が「情報」というツールで装備される場合、これを情報社会と呼ぶことは出来ます。要諦は、目的意識が
倫理的に適切であり、かつ明確に整理されていて説得性があるかどうかです。(para4)
ここまで来れば同時多発テロ事件との絡みは明確です。アメリカは彼らタリバン・グループをテロ集団と呼び、一方の彼らはイスラムの大義を掲げています。これは体制対反体制あるいは宗教対立の構図であります。価値観あるいは意識のうえでの見事なすれ違いです。さらに「自由」と「平等」を巡る価値選択の問題あるいは「科学」と「宗教」の統合問題とも解せます。 いずれにしても、これらは個人意識のあり方にかかわるために、性急な解決方法は見当たらないように思われます。(para5)
蛇足ながら、私は国際開発コンサルタンツとしてこれまで各界トップレベルの欧米人と多くの仕事を一緒にやってきたし、同時に12カ国におよぶイスラム圏の国々で開発業務に従事してきました。したがって、双方の言い分はよく理解できます。
そこで得た私の印象として一神教の人々は優越意識や自己主張が強すぎるようです。人の話に耳を貸さないし、物事を推し量る能力に欠けています。ちなみに私の対人姿勢は、まず共通する話題を探り出し、共通目標に向けて共有意識を拡張してゆく方法によりました。立場や状況はさまざまでしたけど、私の記憶にある限り解決出来ない問題はありませんでした。(para6)