<1>政治や社会に対する考え方。
<2>歴史的・社会的に制約された虚偽意識。
<3>特定の階級的利害を代表する思想や理論の体系。
<4>上部構造の正当性と虚構性を巡る社会的認識。
[説明]
イデオロギーの語源はフランス語の「観念学」(観念の形成過程を研究する学問)に由来する。その後、主としてマルクス主義の分野で「意識形態」ないし「観念形態」の意味で用いられている。人々の意識がその存在を決定するのではなく、その社会的存在が意識を決定する。つまり、物質的な生活関係が意識形成に根拠を与える。これは「史的唯物論」(「唯物史観」ともいう。)の立場である。経済的生産様式が下部構造をなし社会形態はその上部構造をなす、とする主張である。ここに上部構造とは、政治、法律、道徳、宗教、芸術、哲学さらには国家や社会体制を指している。
次のようにイデオロギー概念の整理は困難であるが、価値の多様化を承認する時代状況のもとでかってのイデオロギー論争は沈静化している。
(1)ある時代の支配的イデオロギーは支配階級のイデオロギーにほかならない。
(2)この支配的イデオロギー並びにこれに対抗する批判的イデオロギーは弁証法的対立関係にある。
(3)両者ともに正当性と虚偽性を併せ持ち、これを巡る論争を通して終局的な統合段階に達する。
(4)ここに正当性の根拠は合理的認識に基づく知識層の真理規準に求める。
(5)正当性の根拠は、むしろ大衆の要求や生活感情に求める。
(6)この種の不毛な観念論争を避けて、現実に即した実利行動の方を選択する。
電脳経済学の立場は次のようになる。あるがままに現実を認めるのが電脳経済学の基本的な態度である。そこに現実と理想の乖離はない。これを正確にいえば、あるのは現実のみで理想はない。社会の進む方向は現実面から法線として描き出すことは出来る。しかし、これは相対化された社会の将来像であっても自身の理想ではない。もし両者間に差異があれば『差分』として心に留めておけばよい。つまり行為には結びつかない。このような一人一世界の中立的な文脈からイデオロギー概念が現れる余地はない。畢竟、イデオロギーとは特定部分の欠落意識から現れる心の陰に相当すると考えられる。