C3−1:エルゴード性についてですが。系内で確率分布が時系列に保持されることを意味しているというのが私の理解です。宇宙全体については確かにそのような性質があると考えられます。地球というローカルなシステムでもそのような性質を持つと仮定することは、まあいいと思います。
マルクスの発展段階の対象となるような国とか社会についてエルゴード性があると言えるのでしょうか?エルゴード性と共時態・通時態の関係について、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか。クロード・レヴィ=ストロースは一応読んでいます。そこでの私の理解はsynchronicな相互影響力は存在するがdiachronicな相互影響力は見かけのものであるということでした。
C3−2:共役写像について。これは数学的に定義された用語なのでしょうか?共役の定義と意味を教えて下さい。(共役複素数は知っています。)
C3−3:価格決定機構の供給関数と需要関数は集計的に(社会の中で)定義されたものだとおもいますが、交換系は個人について定義されているのでしょうか?
C3−4:梵我一如は、なぜ、梵即我とか梵不異我と言われないのでしょうか?一如というのは一つの如きものということを言ってっているのですか。完全に同一だというのとは微妙に違うのでしょうか?
私自身も、梵我一如と言うことについてはかなり考えたことがあります。神人合一とか慈悲と般若とか微妙に違うようです。そのうち機会があれば説明します。
図ct03-1 時間と空間の関係 |
図ct03-2 ミンコフスキー時空 |
R3−1:弱いところをいきなりつかれて率直なところたじろいでいます。客観的妥当性があるかどうか自信はありませんが、エルゴード性についての私の解釈と言うことで御了解願います。ただ、電脳経済学を通して強調したい点は社会科学と自然科学の橋渡しにあります。もっと正確に申しますと、社会科学の根拠を自然科学の知見に求める態度がさらに必要だと信じています。
前置きがながくなりましたがエルゴード性とは、対象系の物理量に関して集団平均は時間平均と等価であるとする統計力学で援用されている仮定を指します。これは一般的に時間的平均をとるのは集団平均をとるよりも困難であるために、集団平均をとって物理量の観測値とする保障処置です。これは冒頭の御指摘と符合していると思います。なお、エルゴード性については「ワイルの撞球」が上記説明と対応して分かりやすいと思われます。
エルゴード性についての例えとして、図ct03-1時間と空間の関係を挙げてみます。詳しい説明は割愛しますけど、20歳年上の人を見て「私もああなるのだな」と自分の未来の姿を投影することは自然なことと思われます。この延長線上に図ct03-2ミンコフスキー時空を考えます。円錐の境界は光速度不変の原理により与えられます。その内側に光速よりはるかに遅い任意の世界線を描くことが出来ます。一方、円錐の外側は認識不可能域となります。
マルクスの発展段階も生物進化も塗りつぶした内側における勾配つまり個体固有の変化速度の問題になります。円錐の切り口に時間的情報が投影されていて、時間的関係が空間的関係に置き換えられていると見ます。御指摘の共時的な相互影響力は存在するが、通時的な相互影響力は見かけのものだとする見解も、この図から説明がつくように思われます。つまり、共時的とは空間的な関係を指しますから移動速度を無視すれば相互影響力は存在します。インターネットはその典型的な例と言えます。一方、過去の事実に関しては時間を遡って作用を与えることは出来ませんが解釈に関しては変更を加えることが可能です。それが見かけの相互影響力ではないでしょうか。
R3−2:共役は数学用語で、私も図ct03-3共役複素数のイメージで用いています。共役の役は軛(くびき)の略記であり対(つい、set)を意味します。これは世界の対称性の数学的表現と理解しています。 図d20-2交換モデルにおいて商品と貨幣が、M軸・T軸に関してそれぞれ対称関係にある点に着目して「共役的写像関係」の用語を当てました。
さらに付け加えますと図d20-2は人間の意識構造の表現とみなすことが出来ます。私たちは未来を知らないから過去を調べるし、自分を知らないから他者と関わるわけです。この関係は女の人が鏡を見ている姿を彷彿させます。共役の用語には、このように鏡や鑑の意味を込めたつもりです。経済世界における交換や市場は、この文脈から再認識されるべきでしょう。それを単に価格決定機構とするのは表面的な見方のように思われます。
なお、統計力学−ミンコフスキー時空−歴史認識の関係づけはコジツケ気味ですが、個人レベルでの解釈であれば構わないと言う独断です。
R3−3:私もそう思います。価格決定機構は、価格と数量の座標の上に供給関数と需要関数の関係を表示したものですが、ここで暗黙の前提としての時間・空間・主体が背後に隠れています。私はむしろこの方に注目しています。主体はマクロであり捉えようがない投機筋と呼ばれる怪物です。この意味で市場は虚構的な要因に左右される結果だと思われます。このことはバブル現象に明らかです。
一方、交換は個人がベースであり、それは前述のように意識作用から発生した行為に外なりません。このことはe22目的論と方法論で述べている一人一世界の考え方と対応していますが、これはまた「女性の時代」の意味づけとも関連します。つまりマクロは「見えざる手」の結果としての見える情報の発信源ですが、それを受信して判断するのはあくまで孤独なミクロでありこれは個人の領域に属します。
R3−4:R5−1を参照願います。