C18-1: はじめまして。電脳経済学のHPを拝見して、驚きかつ感銘を受けました。私は知能システムを専攻している大学院生です。人類の未来に興味というか不安を感じていて、次の研究テーマで環境問題に取り組んでいます。PC上の人工社会でエージェント(人間に似せた合理的な判断を行う主体)に廃棄物と資源を取り引きさせて、環境保全にインセンティブが働くような複雑系シミュレーションモデルの構築を考えています。電脳経済学で提示されている経済モデルとの絡みから、参考になるご示唆やご意見をいただければと思いメールしました。
C18-2: ゴミなどの負の財は、政府や社会が処理してくれるという社会主義的な政策では、個人個人にゴミの排出を抑制しようというインセンティブは働きません。したがって、ゴミ自体に価値をもたせて個人個人の合理的判断のもとで取り引きさせることによって、環境保全のインセンティブが働くよう なシミュレーションができればと考えています。しかし、ここでゴミ自体に価値があるという前提に自分自身しっくりこないものがあります。
C18-3: なお、このエージェントベースでの経済モデル構築に際して取り引きする財の評価にコブ・ダグラス関数を使うことの是非についてもコメントをお願いします。
R18-1: コメントから受けた印象:
今日的な意義深いテーマに取り組まれ、将来ある人たちが羨ましく感じられます。電脳経済学発端のひとつに「第二地球の設計要件を問う」という問題設定があります。宇宙ステーション設計のためにアメリカでは実物規模でこのテストが進められています。それは生態系維持のために物質循環を完結させる条件を調べるものです。限られた空間内での人間の生存条件をめぐる知見は、そのまま艦船や孤島で適用可能です。この「ノアの方舟」方式の発想は人類生残りの原型を提供
するものであり、貴コメントへの取り組みに際しても有益であろうと思われます。
R18-2: 論点の整理:
提起されている論点が多岐にわたるので私なりに表C18.1のように整理してみました。表C18.1では、(B)で(A)を一旦展開して、次に(C)として収束させました。(B)の内容説明は割愛して、以下(C)を中心に説明を加えます。
(A)提起された用語 |
(B)Aの周辺/関連用語 |
(C)AとBをまとめた主題 |
人工社会 |
第二の自然 |
(1) 社会 |
知能システム |
ロボット |
(2) 人工知能(AI)とロボット |
廃棄物 |
生産要素(土地・労働・資本) |
(3) 経済理論 |
環境問題 |
エントロピー |
(4) 環境問題 |
PC |
地理情報システム(GIS) |
(5) 情報技術(IT) |
複雑系 |
非線形応答 |
(6) 複雑系 |
R18-3: 主題の捉え方:
(1) 社会をどう捉えるか
「社会をどう捉えるか」これが表C18.1から導かれる結論といえそうです。「自然‐社会‐人間」の文脈に関しては『図e14-1
経済の位置づけ』のように考えます。図Aは「経済」が自然と社会のインターフェースをなすこと、「社会」が情報循環・蓄積の終わりなき過程であることを告げています。
(2)
人間とは何か
次に人間の正体が問われますが、ここでは人間が身体と頭脳を備えているとします。ロボットが頭脳をもった場合、自律的な行動が可能かどうかです。現在の段階ではAIはたんなる推論装置の域を出ませんから「合理的な判断」のための条件式をどう設定するかの問題に帰します。
(3)
経済学をめぐる根本問題
環境問題に直面して経済学が混迷状態にあります。なぜでしょうか?それは経済学が「
欲望充足のための生産」を中心に発展してきて、生産の目的や生産の結果は守備範囲外としたからです。経済過程は物質循環を基調に包括的に捉えられるべきで、生産は
あくまでその一局面に過ぎません。この論旨は代謝モデルに示すとおりです。
コブ・ダグラス関数は生産関数の一例であり、正財を対象にします。しかし、廃物(廃棄物を含み無用物一般を指す用語)は負財です。つまり、負の価値をもつので貨幣との交換対象というより、むしろ貨幣
を沿えて供される性格のものです。この意味で取り引きの対象とはなっても、
現在のところ市場成立とまでは行きません。それよりむしろ生産(組み立て)過程を逆行する分解過程を定式化する方が現実味があります。換言すれば分解技術が経済過程に組み込まれるような社会制度の確立が求められます。リースやレンタルはその端緒を開く具体的な事例といえます。
なお、廃物は必ずしも負財とはいえません。正負の評価は所得水準や需要に左右され、中古製品の売買や貿易は現在も広く行われています。つまり、まず対象となる財や経済主体をめぐる状況をきちんと定義して、次に取り引きに進まないと定式化や条件式の記述はできません。
生産のみならず経済過程は不可避的に負財の産出をともないます。この事実はエントロピー法則が告げる意味深長な結論であり、このHPでも繰り返し指摘しています。経済系のイメージは
この概念を地球規模の模式図で表現しています。この文脈をたどれば経済学は、環境科学の部分系として再定義が要請されることになります。
(4) 環境問題
環境問題とは負財の問題というより、むしろ「負の社会資本」を指す用語です。負財の集積問題
とする視点がない限り、現在の経済不況から抜け出すことはできません。アメリカ経済や金融制度と関連づけるのは問題のすり替えで
あり、現象の矮小化であります。経済は自律性や完結性が優先されるべきです。さもないと政府や中央銀行は自己否定のジレンマに陥ります。
国際化や国際協調の用語法が、自己規律の欠落を釈明する方便
にされています。廃棄物の処理などは疑いもなく自国政府が責任をもって取り組むべき火急の政策課題です。閉塞状況の根本原因に気づいて克服しない限り、次なる生産、貿易、金融などの段階に進めません。当然のことながら理論的解明は
現実に先行すべき急務であります。累積赤字は数量化・可視化できますが、負の社会資本蓄積問題は
残念ながら感知困難であり意識されにくい性格があります。
このようにみてくるとITや複雑系は付随的な位置づけになります。コメント6で述べているとおり複雑系
はまだ思考実験の段階であり、現実的かつ有意な結論は期待できないと思われます。ツールやレトリックに気を奪われると本質を見失うことになります。
(5) 結語として
これからの世界がどのように変わって行くのかという問題提起は時機を得ているし、それをシミュレーションをとおして再現すれば社会的合意形成にも役立つと考えられます。一方、それなりの各種制約も予見されますので、全体像や作業手順についてチャートやテーブルで整理
して、関係者間で意思統一と意識共有を図る必要があります。つまり、利用可能な資源・資金・時間を上記チャートやテーブルに対応させないとたんなる知的遊戯や自己陶酔に終わります。
なお、現実を変えるためのシミュレーションでは
「境界条件」に加えて「検証」が決定的な意味をもつ点も強調したいと思います。
インセンティブは経済概念の核心部分といえます。徳(virtue, merit, morality, goodness,
excellence, value,
etc.)即得が証明できれば経済問題も環境問題も解消する道理ですが、うまく説明できるかどうかです。シミュレーションモデル自体よりも、むしろ説得性の
ある分析の道筋(Human
Brain Simulation)が問われます。PCシミュレーションモデルによるプレゼンはこれを外部化したものにほかなりません。
これは「目的の明確化」を意味し、正鵠を得た目的は必ず実現します。なぜなら、方法は自ずとそれに導かれてくるからです。目的が正鵠を得ているかどうかは自分自身にしか分かりません。なぜなら人間にはそれぞれ使命が与えられているからです。人はこの人生目的を運命と呼んでいます。表C18.1B欄第2段にあるオントロジーは、人工
知能や知識システムを存在論と対応させる考え方で
す。その重要性に鑑み用語集に追加しました。この概念は目的論と方法論とも密接に関連していますので参考にしてください。
[参考文献]
(1) 『imidas2002』 ハイテクノロジー AI&ロボティクス pp838-850 集英社
(2) 『経済学大辞典T』 V市場機構 3 生産関数 (5) コブ=ダグラス生産関数 p187 東洋経済新報社