電脳経済学v3> f用語集> ji2 事実唯真(=如実知見)(=真如)(⇔shi11 思想矛盾) (当初作成:2006年07月12日) (一部修正:2006年07月23日) (一部追加4.:2009年06月07日)
1.事実唯真の背景
「事実唯真」はこのまま単独に用いられる場合も多いが、本来は『思想矛盾と事実唯真』の対句として意味を持ち、これは目的論と方法論の関係に相当する。つまり「思想矛盾」の克服目的には「事実唯真」という解決方法が対応関係にある。思想矛盾とは平たくいえば人間業に付随する悩みや苦しみを指しさらにイデオロギーや不条理なども含まれる。これらは経験的知識では説明不能な心的葛藤状態であり間接的な死や負い目に対する恐怖の表象化といえる。
この対句の出所は大正期の精神科医森田正馬(1874-1938)が書き残した色紙にある。森田博士は神経質症の治療法として知られる森田療法の創始者であり同時代の哲学者西田幾多郎(1870-1945)の禅思想に強い影響を受けた。両者を結びつける概念は「行為的直観」であり(pdf)、これは日常用語では”あるがまま”となる。”あるがまま”は本HPの基本的な主張であり随所に現れるが、人間は”あるがまま”には生きられないというコメントも寄せられている。ちなみに”あるがまま”は短くいえば’自然体’あるいは’構えない態度’を意味する。
2.対人恐怖症
前項の神経質症は対人恐怖症とも呼ばれ西欧人よりも東洋人とりわけ日本人に顕著な性格的特徴といえる。対人恐怖症とは世間の評判を過度に気にする精神的な傾向を指し、これは根底にある劣等/優越意識から発生する。つまり、周囲との比較のみで自分を位置づける性向である。昨今の社会病理現象はここに起因すると思われる。
3.事実唯真とは何か
東洋人の対人恐怖症は西欧人の統合失調症(かって精神分裂症と呼ばれた)と対応する。これは地勢的な条件並びに宗教観の差異に由来する。島国と仏教から導出される日本人の国民性は周知の通り「和の精神」が基本をなす。社会的評価に気を奪われる余り真理や現実を疎む。この対極が現実直視に基づく現実肯定となる。釈迦はこれを「法によるべし・人によるべからず」あるいは「法燈明・自燈明」と教えている。事実唯真は人間本来性の覚醒へさらには人類普遍の歴史認識へと導き最終局面では宇宙論との統合に道を開く。国際化時代を迎えて「事実唯真」の意味深長性を再度強調したい。
4.如実知見(=真如)
事実唯真と同義をなす仏教用語として「如実知見」あるいは「真如」を挙げたい。両者共に「あるがまま」を受け入れる心的態度を指す。何事も先ず受け入れて、疑念、批判、分別の類はその後にする。誰が正義か何が真理かは誰にも分からない。したがって取りあえずは「あるがまま」に受け入れないと物事は始まらない。客観的なデータの分布に基づいて主観的な座標の原点が定まる。仮に不都合が発生すれば客観的なデータは相互に吟味や検証の対象となる。この作業は原点の移動に拠らずしてデータの共有/統合/拡張を可能とする。ちなみに主観的な座標の原点とは本人の倫理観の中心点を指す。この論法はエッシャーのだまし絵を彷彿とさせるが多世界解釈への道筋を提示すると確信する。
5.参考資料:
(1) 『岩波哲学・思想事典』 廣松 渉ほか編 岩波書店
(2) 『岩波仏教辞典』第二版 CD-ROM版 中村 元ほか編 岩波書店