電脳経済学v3> f用語集> pb 問題 (problem (1)question: query; intricacy; enigma; puzzle (2)difficulty: dilemma; quandary; obstacle; predicament (3)subject: substance; theme; topic; title (4)issue: point; concern; argument; matter) (当初作成:2007年11月21日)(一部修正/追加:2009年10月07日)
図pb-1 論理枠組み(図e16) |
図pb-2 管理の考え方(図ka9) |
図pb-3 問題意識の定立 |
1.問題とは何か:
(1)試験/テストなどのように問いかけに答えさせ採点による評価を目的とする主題。出題者の意図に沿う具体的な解答を求める問い。(入試問題など)
(2)困った事柄や厄介な事件などのごたごたやトラブル/騒動の類。(離婚問題など)
(3)批判・論争・研究などのように特定の課題を対象として解決/解消が期待される事柄
。(環境問題など)
(4)ある主体が関心を寄せて解決/克服を期待する主題(領土問題や健康問題など)
(5)人々が懐疑的に注目する社会性に富む話題。(汚職問題や年金問題など)
(6)ある状況に対しその意義を見出して主体的にかかわり合おうとする心的態度。(問題意識や問題提起)
2.誰にとって問題なのか:
問題という用語もまた多義的な曖昧語でその用法や文脈に注意を要する。参考までに前節において英文シソーラスを参照して問題をおおまかに区分した。しかし本ページでは上記(1)−(5)の問題一般は横において(6)に示す「主体の心的態度」としての問題に狙いを定める。具合的には問題意識の意識に重点を置いて意識のあり方としての問題の定立を試みる。
最初に確認されるべきは次の点である。問題は問題にしている当事者にとってのみ解決が期待される問題なのであって万人に共通する普遍的な問題は存在しない。つまり誰にとっての問題かを先ず確認してその主体が問題意識を明示的に提起しない限り問題を巡る議論は収束しない。つまり誰が誰に向けて問題を提起しているかであるが、ここで双方にとって問題解決後の姿が理想(望ましい状態:DS:
Desirable Status)として格別の意味を持つ点を銘記したい。
3.問題に向き合うか妥協するかの選択:
図pb-1は図e16経済を巡る論理枠組みのコピーであるがこの構図は経済を離れて一般化して適用できる。時間と空間がそれぞれタテ軸とヨコ軸で表されその交点に問題意識が配置される。ここで@問題意識は主体と同義でありAからGまでは主体を巡る環境条件に相当し、この環境条件自体も問題意識の産物であり、この意味においてすべてが問題意識から発生し問題意識へと収束する。ここで問題とは意識を巡る違和感であり、この違和感は欠落意識に起因し矛盾あるいは差異とも呼ばれる。人間は全知/完全意識には到達できないので生涯を通して問題と格闘するかあるいは適当に妥協して違和感を受け入れるかの選択を迫られる。
4.管理との関連:
図pb-2は図ka9管理の考え方のコピーである。管理とは現実(現在の状態:PS:
Present Status) を理想(望ましい状態:DS:
Desirable Status)に接近させる営みである。健康管理を例に挙げれば規則正しい生活や禁酒禁煙の実行により健康や長寿が約束される。これは誰もが承知しているけど問題はそれを実行できない点にある。
一方、社会資本や地球公共財の管理問題は環境問題の別なる表現であるが、私経済による限り解決は不可能である。なぜなら私的所有に基づく私経済は利益最大化を狙うもので、このマクロな集計結果は地球レベルでの望ましい姿とはならない。世界経済の成長により人類の幸福が約束されるとする現行経済学の基本構想は関係者の職業倫理を前提とするので残念ながら幻想と言わざるを得ない。なお図pb-2は図pb-1における@問題意識の内部関係を示し、A-Gの環境条件は現象世界として括っている。
5.問題意識の定立:
「図pb-3問題意識の定立」とは問題の捉え方を指し、その基本構図は「図pb-2管理の考え方」と同じになる。つまり両基本構図は共に主体の価値を巡る差異意識から客体としての現象世界に対する循環的な作用関係を示す。図pb-3は主体が客体をどう見るかにより問題が定まるとする立場を表す。最終局面において差異は解消し作用は不要になる。これは涅槃と呼ばれる状況である。Gap
= DS-PS とすれば問題に取り組む人間の生存はこの Gap Filling の過程にほかならず、この文脈を辿ると人間は生涯にわたり問題から解放されない。
6.あえて問題を纏めると:
問題を巡る結論は次の二点に纏めることができる。第一点は「審級性」準拠の考え方である。審級とは価値を巡る判断基準で「重要さの順序」に配列することを指す。これは時空的に”緊急性”や”隗より始めよ”とも表現できる。一方、この価値は理想と現実の差異から発生するので、結局その人が何を理想に掲げているかが問われる。現実は否応なしに共有されるので、この文脈から第二点は「理想」の意味深長性となる。現代日本社会は理想や目標を設定できない状態にある。つまり然る可きDSが描けなければ
Gap Filling にも取り組みようがない。国家の指導層は国家の理想像を具体的かつ明晰に掲げるべきである。最後の元老である西園寺公望は戦争に向う当時の社会状況を慨嘆して、畢竟するに国民の教育水準が向上しない限りこの国はどうにもならない旨の言葉を残している。現代から逆照射してこの言葉をどう解釈すべきか。理想は個人的な問題であり一人一世界に繋がるので、つまるところ両者は時空的な「審級性」文脈に収まると考えられるが。
7.参考資料:
(1) 『問題解決の発想と表現』 東 千秋・柴山盛生・遠山紘司 放送大学教育振興会