電脳経済学v8> f用語集>wu 無為自然 (wuwei) 当初作成 2014/07/07)(一部追加 2014/07/16) (一部追加1.(4)+(5):2018/03/21)

1.梗 概
<1> 自然のままで作為のないこと。(広辞苑)
<2> 不自然な行為や人工的作為をしないこと。(B百科から一部引用)
<3> 仏語では永遠絶対の真実、真理。⇔有為(うい)(大辞泉)
<4> qbv量子論的身体観からの導出として。(nt自然5.参照)(追加 2018/03/21)
<5> 無為自然には上記に加えて様々な用語法があるので文脈に注意を要する。(Wikipedia(追加 2018/03/21)

2.用語説明
(1)無為自然といえば老子となる。しかしzhu荘子もまた無為自然を唱えている。両者は併せて老荘思想あるいは道家思想と呼ばれ儒家思想とともに中国古代思想を代表する。その説くところは「」であり、この道には天道人道がある。中国では儒教・仏教・道教の三大宗教が知られるが前記の通り三者の教えは宗教・思想・哲学・生活規範が渾然一体となり現代日本人が学校で習得したアリストテレス的な体系には馴染まない。その教えは融通無碍であり法則性を見出し難いけど、敢えていえば政治力であり人治主義となろう。それはそれとして…。
(2)無為自然の本義は有為自然並びに運命自然と同義になる。無為と有為は明らかに対義語であり字面が字義を表さない。論理的な矛盾から融通無碍となりそこでは人治主義の世界が広がる。例えば「有無相通ずる」という諺は論理的に説明できないけど現実世界では十分通用している。当為を為し無為に入る。つまり、為すべきを為し余計なことはしない意味だとしても現実にどう行動すればよいか折に触れ自分自身で判断するほかない。これが前節の政治性や人治の語義である。
(3)次は運命自然である。これは「人事を尽くして天命を待つ」の慣用句に遺憾なく表現されている。この人事が前述の無為と有為の含意を併せ備える点は繰り返す必要がない。これまでの文脈を整理すれば自ずと「運命」の語意が明らかになり結果的に「運命論」となる。誤解を招かないようにつけ加えれば運命は宿命と天命(使命でもよい)の中間に位置している。

3.暫定結論
(1)無為自然での主張は次の通りとなる。先ず無為自然が徹頭徹尾対自的な概念である点は留意を要する。つまり他者との関係からは現れない。この文脈において無為自然はslp独我論並びにmk無記と相互関係にある。
(2)例えば、正義とは何かについて議論するとしよう。対自的な正義は健康だと考える人にとって議論は意味を失う。何故なら自身の健康は対自的な実践の問題であり他者との議論から結論を得る性格の論題ではないからである。さらに無為自然の観点からは社会的な正義についての議論もまた無意味である。何故ならソクラテスの昔から結論が出ないことが自明だからである。
(3)それではどうすればよいか?何事も反対も賛成もしないことである。いわゆる厳正中立、かつ現実肯定である。つまり中庸とか中道を現実社会を通して体得する。予測は必要であるけど口外無用となる。ここで予測は自身のpro蓋然性を検証するために必要である。これが自身の幸福と世界の平和に至る最短確実な方法である、と思うけど読者諸賢の見解やいかに。

4.参考資料
(1) NHK テキスト View  老子の「無為」は「なにもしないでいること」ではない
(2) 道−TAOの言葉 無為自然に生きる
(3) 『無為自然の思想』 老荘と道教・仏教 森 三樹三郎 人文書院
(4) ちくま新書 『入門 老荘思想』 湯浅 邦弘 筑摩書房
(5) 『哲学事典』  林 達夫ほか監修 平凡社 p1365
(6) 岩波 社会思想事典』 今村 仁司ほか編 岩波書店