電脳経済学v3> f用語集> nt 自然 (nature) (当初作成:2010/04/08)(一部追加 5.:2018/03/10)

1.梗概/用法:
(1)人為によらないさま。人間の手が加わっていない山川草木・花鳥風月の類。(−に親しむ)
天然の様子。人工によらない事物本来の有様。cl文化の対義語。re歴史・社会の対義語。自由・当為の対義語。
(2)ひとりでにそうなること。事物に本来備わる性質・天性・本性。本質。(−治癒)
(3)物事が本来あるとおりであるさま。当然。(−の成り行き)
自ずからそうなっているさま。あるがままの状態。なるがままの変化。
(4)他の力に依存せずに自らの内に生成・変化・消滅の原理を有するもの。(atpオートポイエーシス)(オートポイエーシス
人工・人為の対義語。生命原理としての自己言及、自己創出、自己産出、自己複製、自己再生、自己組織化、創発などと同義語。
(5)精神とは区別された物質的世界。因果的必然的法則の下にある現象的世界。経験の対象となる一切の現象。精神、霊界、英知界の対義語。(−の摂理)
(6)re歴史に対し普遍性・反復性・法則性・必然性の立場から見た世界。ka3科学の同義語
(7)自由・当為に対し因果的必然の世界。
(8)人間の力では予測できないこと。
(9)人間を含む天地間の万物。森羅万象。csm宇宙。(−の営み)

2.用語説明:
とりあえず上記の梗概/用法に沿って説明を加える。広辞苑、大辞泉、明鏡を出所とするが筆者の企図と責任により全面的に再編集した。自然とは何かと問われれば「自ずからそうなるさま」「あるがままの状態」となる。「人為が加わらないさま」ともいえるが、この場合は人為についても定義が求められる。上記を踏まえると自然は直接定義よりむしろ対義語や対立概念からの帰納的定義あるいは熟語群からの類推による方法が妥当といえる。唐突ながら本来は熱力学用語であるae4エントロピーも同様に定義困難である。つまり説明困難な多義的用語は無定義用語として事例を参照して文意を漸進的かつ螺旋状に汲み取りながらをcct概念を把握する外ない。なお自然の用語は名詞のほか形容動詞あるいは副詞として用いられるので注意を要する。上記1.(4)-(9)は哲学用語でこの場合は自然の見方つまり価値判断の根底をなす自然に対する価値観を指すのでむしろ自然観となる。そこでは自己同一性を基軸に肯定的か否定的か内部的か外部的かなどが問われる。

3.自然哲学
古代ギリシアでは自然(ピュシス)は世界の根源をなす絶対的なao1存在として捉えられた。対立概念をなすノモスは掟・慣習・法律や社会制度・道徳・宗教上の規定を指し現代用語では「規範」ないし「基準」に相当する。ピュシスが人為が及ばない絶対領域を指すのに対してノモスはcl文化や政治に依存し人為的かつ相対的である。ちなみにノモスは古代エジプトの地方行政区画を指すギリシア名でもある。絶対的な権威である正義は本来ピュシスに由来するが時代の経過とともに次第にノモス領域に組み入れられるに至った。
体系的に自然学を確立したのはアリストテレス (Arisotle: BC384-BC322) である。彼は自著『形而上学』において神学形而上学を「第一哲学」に位置づけ、自然哲学を「第二哲学」と呼んだ。形而上学はメタ自然学を意味するのでここにte#te3「宗教-哲学-科学」つまり神我系を巡る歴史展開の萌芽を見出せる。彼はまた自然学の中で現象を引き起こす原因として形相因(エイドス)・質料因(ヒュレー)・作用因(アルケー:現在の科学でいう原因を指し動力因ともいう)・目的因(テロス)からなる「四原因説」を唱えた。プラトンは事物の本質を形相(イデア)と名づけ事物から超越する原理としたがアリストテレスは形相(エイドス)を事物に内在する原理とした。つまり形相(エイドス)は質料に一定の形を与えて現実的存在者として成立させる構成原理を指し生物の種子がモデルとされる。形相と質料を巡る関係は現代に至るまでte哲学の基本概念をなしている。アリストテレスはまた質料に内在し発展して形相を実現しうる時間的関係を可能態(ディナミスdynamis:ラテン語でpotentia)から現実態(エネルゲイアenergeia)への発展過程として示した。

4.考察と結論
自然とどう向き合うべきかつまり自然観が問われている。人類史を顧みるに社会が閉塞感に覆われてくると「自然に帰れ」と叫ばれる。自然に帰れといえばスイスの思想家ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Roussea: 1712- 1778)がよく知られている。ルソーの思想はカントハイデガーデリダなど爾後の哲学者に強い影響を与えている。自然は本性を類義語とし人為を対義語とするが上述のように自然とはこうであると簡単に言い切れない意味において難問(アポリア)である。その理由は自然の対義語はむしろcl文化であり人類人間観)に撥ね返るからだ。つまり自然を突き詰めると主体と客体対象)が渾然一体となる。生命体を遡ればbu1物質に還元されついにはbbビッグバンに辿り着く。これは明らかに答になっていない。つまり自然は生命発生の遥か彼方の時間や空間に解消されて迷路に嵌まり込む。e24存在と認識が絡み合う意味で知的遊戯に恰好の題材を提供している。
自然は古今東西を問わずアポリアであり続ける。無為自然と有為自然が論理的に併存可能か。運命自然や自然随順では幅がありすぎるしまた自然悟道(じねんごどう)自然法爾
(じねんほうに)が何を指すのかもはっきりしない。言霊か言葉遊びか東洋の自然観は風流や芸術の領域である。歴史的事実としてka3科学は自然を対象として西洋で成立し発展してきた。ところが「人間も自然の一部である」事実は現代科学といえども説明できない。自然の真義が解明されない限りこの命題二律背反から免れない。ここでap人間原理が要請される。ka3科学はあくまでe22方法論とすればshu宗教e22目的論に対応するのか。結論として、整合性を備えた「目的論的自然観」と「因果論的自然観」が構築可能かが問われ、次項の「量子論的自然観」がこれに示唆を与える。

5.量子論的自然観:(追加: 2018/03/10)
自然」より自然観の方が説明し易い。宇宙観、世界観、人生観、価値観、等に関しても同様である。なぜか?○○観と付くとその人が○○を全体的に意味づける見方・考え方を指す。しかも、これは暗黙に本人固有の見解となる。ここが量子論的たる所以であり、観測問題の帰結でもある。更に言えば民主主義の成立根拠ともなる。なお、本項に関しては下記6.(8)に専門的見地から詳述されている。
前項4.で「人間も自然の一部である」と述べた。これを反転して「自然も人間の一部である」とする立言が成立する。前者と後者はそれぞれ存在論と認識論の立場である。つまり(物理的)量子論は(哲学的)認識論を意味する。これが将にap人間原理であり、「qbv量子論的身体観」でもある。(bdt身体論参照) 更に、「生命系」は上記文脈から統合的規定が可能であろう。なお、下記6.(9)には生命系と経済系との関連を記述している。
蛇足ながら、生命論とエントロピーの絡みについてE・シュレディンガーの言うネゲントロピーは上述の「反転」で説明出来るのではないか。

6.参考資料:
(1) 哲学電脳経済学
(2) 自然 (Wikipedia)
(3) 自然哲学 (Wikipedia)
(4) 自然観 (Wikipedia)
(5) 生命科学 (Wikipedia)
(6) 『哲学事典』  林 達夫ほか監修 平凡社
(7) 『岩波 社会思想事典』 今村 仁司 ほか編 岩波書店
(8) 物理教育 第46巻:[.量子論的自然観 菅野 礼司 (pdf) (追加: 2018/03/10)
(9) c50 生命経済系の考え方電脳経済学
(10) 「人間と自然との関わりに対する三つの自然哲学的アプローチ:シェリング、レーヴィット、メルロ=ポンティ」 川崎 惣一 宮城教育大学紀要2011年発行 (追加: 2018/12/16)