電脳経済学v3> c経済系1> c20 アダム・スミス体系の構図
 (新規作成2004年0712日) (一部修正2004年1204日) (一部追加20070207日)

スミス体系の構図
スミスによる社会構成
目的論と方法論

図c20-1 スミス体系の構図

図c20-2 スミスによる社会構成

図c20-3 目的論と方法論


c20-1 経済学:アダム・スミスに始まる
経済学は経済を研究する学問であります。それではその「経済」はそもそも何を対象とするのか、この対象を定める作業自体が経済の定義となります。これは同義反復のように響きますが、まったく新しい学問領域を確立するに際して避けて通れない作業であります。この経済の対象範囲に一定の基準を与えたのがほかならぬアダム・スミス(1723-1790)であり、彼が経済学の父とされる所以はここにあります。スミスは私たちが経済と呼んでいる構想をどのように築き上げたのか彼の足跡を辿りながらその思考過程を推察してみます。経済という概念を定義する過程では経済という用語はまだ存在しないので使用できません。これは現代に生きる私たちの直感に馴染みにくいのですが、暫くの間スミスの時代に遡って思索を巡らしてみましょう。

c20-2 スミスの生涯
スミス体系は、彼が生涯を送った時代環境、社会環境、家庭環境の統合化された産物であります。この文脈からスミス体系を理解するには可及的にアダム・スミス自身になりきる必要があります。この状況再現に役立てるために表c20スミスの生涯を用意しました。さらに、彼が残した文献を中心として前表を要約すれば図c20-1スミス体系の構図のようになります。ここで囲み数字@−Cは主要な文献の参照番号を示すとともに表と図を対応づけています。

表c20 スミスの生涯(1723−1790)
  1723 6月にスコットランド東部のカコーディに生まれる。
       税関吏の父は出生前に他界、母により育てられる。
  1737 グラスゴウ大学に入学(−40)(14歳−17歳)
  1740 オックスフォード大学に入学(−46)(17歳−23歳)
@1748 『天文学史』(草稿)を執筆(−58)(25歳)
  1751 グラスゴウ大学論理学教授に就任(28歳)
  1752 グラスゴウ大学道徳哲学教授に転じる。(29歳)
  1758 グラスゴウ大学にワットの仕事場が与えられる。
        (同僚ブラック、地質学者ハットンとともに尽力)
        ケネー『経済表』「原票」刊行
A1759 『道徳感情論』初版刊行(36歳)
  1763 『国富論』草稿執筆(40歳)
  1764 2月に12歳のバックルー候と大陸へ(−66)(41歳)
  1765 ワット蒸気機関の改良
  1766 10月に大陸から帰国(43歳)
B1767 ケネー『経済表』「範式」刊行
C1776 3月に『国富論』初版刊行(53歳)
       7月にアメリカ独立宣言
  1784 母死す(61歳)
  1789 フランス革命
A1790 3月に『道徳感情論』第6版刊行(大幅な改訂増補)
        7月17日没(67歳)
@1795 『哲学論集』(『天文学史』を含む)遺稿刊行
       (遺言執行人ブラックとハットンにより)

c20-3 スミスの業績
スミスといえばC『国富論』(または『諸国民の富』)となります。しかし彼はその17年も前にA『道徳感情論』(または『道徳情操論』)を刊行しています。つまり彼には二つの顔があって道徳哲学者として思想史的に捉えればAとCが、経済学者として政策論的に見ればCが意味を持ちます。これはマルクスにおける『史的唯物論』と『資本論』の関係に酷似しています。ところがここでは@『天文学史』というまったく異なる視点からスミス第三の顔に光を当ててみます。なぜなら『天文学史』がスミス体系に方法論を提供している点に着目するからです。
彼は多方面にわたる業績にもかかわらず主著は前記2冊に限られ、しかも両著に対しては意欲的に改訂を繰り返しています。一方、彼は死を前にして一部を除いてすべての未完成原稿を焼却するよう遺言執行人に依頼しました。@『哲学論集』は幸いにも焼却を免れた遺稿で死後5年たって発行されました。『哲学論集』に含まれている『天文学史』は、当時の科学革命つまり天動説から地動説への移行に関する彼の見解を示す貴重な資料であります。その内容はニュートン体系に方法論的な評価を加えたものです。詳細は割愛しますが鍵概念は『結合原理』にあります。次に示す理由からこの結合原理は難解とされるスミス体系を解き明かす暗号表の役割りを果たしていると考えます。
ここで留意すべきは彼が熱心な理神論者だった事実です。理神論(deism)は啓示宗教に対する理性宗教を指し17世紀から18世紀にかけてヨーロッパにおいて展開した合理主義的自然宗教でルソーなどが知られています。宗教(religion)の原義は再結合を意味し、キリスト教あるいは聖書の基本思想はこの再結合あるいは中心回帰にあります。はその現象化された表現といえます。(理神論に関しては参考文献(7)(8)参照)

c20-4 ニュートン的方法論
アイザック・ニュートン(1642-1727)はスミスが4歳のときに世を去っています。(e42近代史上の主要人物参照) そのスミスは表c20@に示すように25歳から35歳にかけて『天文学史』を執筆しています。この期間はオックスフォード大学留学から帰国して『道徳感情論』刊行までに相当します。『天文学史』はニュートン体系の評価を結論とするものでその中でスミスは次のように記しています。「説明困難とされる現象が、ある原理から演繹されすべて1つの連鎖に統合されているのをみることは喜びである」 別のところではさらに具体的に「彼はよく知られた1つの結合の原理で惑星の運動をともに結びつけることが出来ることを発見した。そしてそれは、それまで想像力がそれらに注目する場合に感じていたすべての困難を完全に取り除いた」と述べています。ちなみにこれはスミスの学生が講義をノートした記録が解読され1983年に公表されたものです。(詳細は参考文献(9)参照)
スミスの言明は疑いもなくニュートンによる万有引力の法則発見を指しています。ニュートンは逸話の多い科学者として知られますが「先人の肩に乗って仕事をする」との言葉を残しています。これは一般的には先達の知恵に学ぶ意味ですが、具体的にはガリレイによる物体落下の実験結果とケプラーによる天体運動の法則を統合してニュートン体系を築き上げた自身の経験と受けとれます。地上のリンゴが地面に落ちるのに天上の月はなぜ落ちないで地球の周りを回っているのか。ニュートンの非凡さは月は斜めに地球に落下しているとして万有引力の法則発見に至った慧眼にあります。つまり万有引力がリンゴの落下と月の円運動をつなぐ結合原理となっています。(詳細は参考文献(12)参照)
ニュートン/結合原理に肖れば電脳経済学の立場は次の通りです。情報は情報属性(17)に示すように「隠された連鎖の結合として発見」されます。一方、情報ビッグバーンによれば情報構造は宇宙自体として開闢当初から埋め込まれていて、それは不可視与件つまり神様から人類へ与えられた永遠の宿題となります。

c20-5 スミスによる社会構成
ニュートン体系とスミス経済学の方法論的な関係性は現在のところ不明です。しかし利用可能な資料を統合的に解釈すれば図c20-2スミスによる社会構成に示す方法論が推定できます。スミス経済学やマルクス経済学は政治経済学 (Political Economy) と呼ばれ近代経済学 (Modern Economics) と区別されます。それは目的論のありかが経済学体系の内か外かの違いによります。スミス経済学の目的は題名通り国富の増進であり、経済学はそのための方法論となります。図c20-3目的論と方法論にこの関係を示します。この方法論は帰納と演繹を反復して目的論に収斂させる普遍的な問題解決法であり、マルクスの場合は下向法と上向法がそれに対応します。近代経済学体系内における目的論は利益最大並びに効用最大が設定されます。しかし体系外では各自設定に任されますので目的論の文脈から目的連鎖を組み立てる必要があります。差し当たりは自己実現でよろしいかと思います。
図c20-2A市民社会として示すように、スミスは『道徳感情論』(1759)において人間が利他的に振舞う根拠つまり市民社会成立の条件として「同感」を挙げています。つまり同感を市民社会の結合原理に据えればその構成員相互間で価値の共有が可能となります。同感とは自他置換の思考法を指します。自分と他者を置き換えるつまり相手の身になって感じることです。それは同情とか共感と呼ばれる感情にほかなりません。ちなみに、この同感/同情/共感による感情/価値の共有さらには学習/社会の成立も根元を辿れば脳のミラー・ニューロンの働きにあり交換モデルはこれを経済系の文脈から模式的に表現したものです。ここでは『道徳感情論』における感情を『国富論』における価値に対応させる伏線が感じられます。絶対価値から経済価値への絞り込みともいえます。
他方で図c20-2C経済社会にあるように、彼は『国富論』(1776)において人間は交換によって私益を最大化しようとする利己的な存在としています。つまり彼は「各人は自己の利害だけを考えるが、結果的には社会の一般的利益の最大限の増進という各人が全然意図しなかった目的を実現させる」と喝破しました。この関係を彼は『見えない手』(『見えざる手』ともいう)(an invisible hand) に導かれてと表現しました。この表現は『国富論』全巻のなかで第4編第2章に一度現れるだけですが、個人と社会の自然的調和の思想を象徴するスミスの言葉としてあまりにも有名です。
スミス経済学の核心部分は図c20-2C経済社会にありそれは次のように再整理できます。B重農主義は紛らわしい訳語で注意を要します。日本で農本主義と呼ばれる農業立国思想とも自然主義思想とも異なり原語はPhysiocracyで物質的ないし物理的な生産を意味します。一方のMercantilismつまり商業的な交易と対応させたうえで両者を結合しています。現代風にいえば生産と流通を統合的に扱う方法論として経済学を提示しました。ちなみにケネーの『経済表』はここで意味を持ちます。さらに生産を分業の視座から捉え、その帰結として交換が要請される。図c20-2にあるようにその下部構造として同感社会を、さらなる下部構造として夜警国家を据えました。この3段構えの構図は史的唯物論における上部構造と下部構造を上下反転した表現になっています。いずれにしても両者に共通する主張は経済過程に社会成立のためのエンジンの位置づけを与えている点です。

c20-6 スミス体系における見えない手
スミス体系の要諦は前節で述べた『見えない手』を私益と公益の結合原理に据えている点にあります。見えない手の含意について彼は自身の思想と理論を『国富論』として提示しています。ニュートン体系における結合原理が万有引力とすれば、スミス体系における結合原理は「見えない手」となるのでしょうか。私の理解では「見えない手」は問題提起であり『国富論』はその例解体系となります。ちなみに万有引力の結合原理を「質量」とすれば、スミスは「見えない手」の結合原理を「価値」と呼びその源泉を労働に求めています。この文脈を辿ると「見えない手」は「交換性向」を指しているとも解釈できます。「見えない手」が社会の仕組みを指すのかあるいは特定の概念を指すのか不明ですが、万有引力に対応させれば「交換性向」の方が分かりやすいと考えます。つまりスミスが後世に託した課題は”交換性向の現実化を目指す社会のあり方を問う”と思われます。ちなみに「交換性向」についてスミスは「人間だけに見出せるが、われわれの当面の研究課題には属さない」としてさらりとかわしています。

c20-7 電脳経済学における交換性向と見えない手 (一部追加20070207日)
なお電脳経済学では交換モデルに明示する通り “交換は情報交換を意味し” 意識の拡大化を通して梵我一如に至るとします。再度確認すれば、貨幣はあくまで “情報の担体”であり情報や価値自体ではありません。貨幣は計量化や可塑性の文脈からすぐれて有用ですがそれ自体が目的とはなり得ません。お金に関する世の悲喜劇はこの取り違えに起因しています。
自明の事実として人間は情報なくして生存を確保できないし救済もあり得ません。見えない手は市場(価格決定)機構とされますが情報技術の進展に伴い価格はかなり予測可能です。見えない手はむしろ隠された連鎖を巡る結合原理とみるべきで情報ビッグバーンへの回帰を指すと考えられます。(ji3情報ji3-5D(17)(23)-(25)参照)前記の “意識の拡大化” はそれへ向けての当面の目標と言えます。

[参考文献]
(1)『道徳感情論』上・下 アダム・スミス著 水田 洋訳 岩波文庫 2003年7月25日
(2)『諸国民の富』(1)-(5) アダム・スミス著 大内 兵衛・松川 七郎訳 岩波文庫 1991年9月5日
(3)『スミス国富論入門』星野 彰男・和田 重司・山崎 怜著 有斐閣新書 1988年12月20日
(4)『経済思想史読本』水田 洋・玉野井 芳郎編 東洋経済新報社 1994年6月30日
(5)『経済学大辞典』V熊谷 尚夫ほか編 東洋経済新報社 昭和63年9月5日
(6)『経済学辞典』第3版 大阪市立大学 経済研究所 岩波書店 1992年3月19日
(7)『哲学事典』 林 達夫ほか監修 平凡社 1992年1月15日
(8)『岩波哲学・思想事典』 廣松 渉ほか編 岩波書店 1998年3月18日
(9)『経済学のメソドロジー』 馬渡 尚憲著 日本評論社 1990年4月26日
(10)『経済学のパラダイム』 根岸 隆著 有斐閣 1995年1月30日
(11)『新人類のアダム・スミス』 ナガイ・ケイ著 富士書房 昭和63年7月20日
(12)『物理学読本』第2版 朝永 振一郎編 みすず書房 1984年12月5日