電脳経済学v8> f用語集> o-a 一即一切、一切即一 (One for all、all for one)
(当初作成:2018/12/16)
(一部修正:2018/12/17)

1.梗 概:
(1)「一即一切、一切即一」は仏教用語です。四字熟語の対句形式でその意味も各人相応に理解出来ます。出典は華厳五経章とされます。(因みに、これは循環論法の典型例です。)
(2)禅語にある「萬法帰一」も同義です。般若心経にある「色即是空、空即是色」もよく知られています。これらを総称して仏法と呼びます。法はd&j法と正義に述べた通りで真理を意味します。
(3)ここでの論点はqut量子論とりわけm-p観測問題との関係性にあります。取り敢えず、上記(1)(2)で現れた「一」や「空」は自分自身(私個人)を意味すると理解します。それを内部とか内界と呼べばその対義語として外部や外界が対応します。
(4)上記からの導出は、随所に記す「csm宇宙原理」と「ap人間原理」の対応関係であり、更に「e24梵我一如」でもあります。
(5)何時もの飛躍した結論を申せば、量子論と仏教は夫々現代科学と宗教思想を代表しています。つまり、マクロとミクロの関係です。これを一切とか一と置き換えれば対応関係は明白です。
(6)特記すべきは自分自身が出発点であり且つ到達点である事実です。釈迦はこれを「天上天下唯我独尊」と教えています。
人間にai2意識があるから外界(のao1存在)を認識出来る、これで哲学的量子論はほぼ合格です。

2.補足説明:
(1)「人間はnt自然の一部である」とすれば。内なる自然が人間で、外なる自然が宇宙になるのか?「一即一切、一切即一」との関係は?自然随順と考えると人間意識はどうなるか?fat運命随順になるのか?
(2)これは補足説明ではなく問題提起である。drdデリダの助けを要するようだ。
(3)一と一切、認識と存在、出発点と到達点…表裏一体的全体観はメビウスの帯か或いはクラインの壺か?つまり循環論法もまた可では?

3.参考資料:
(1) 四字熟語辞典 一切即一
(2) OpenSesame 叡智の扉 一即一切、一切即一

(3) 量子論と仏教 後藤 蔚 東洋大学文学部 (pdf)