電脳経済学v6> f用語集> ap 人間原理 (anthropic principle) (v6) (当初作成:2009/10/26)(一部追加:2009/11/03)(一部追加(11):2009/11/24)(一部追加4.:2009/12/26)(一部修正:2010/02/25)
左図の説明: (1) 宇宙原理:一様・等方な宇宙(macrocosm)の中にあって人間(特異点S)の存在は極微ながらもその原点をなす。⇒宇宙:人間内認識としての存在客体。 (2) 人間原理:一方、人間(microcosm)は宇宙の存在を開闢の瞬間(特異点B)まで遡源して認識できる。⇒人間:宇宙内存在としての認識主体。 (3) 梵我一如:(1)と(2)の相互参照関係から「人間は宇宙の自己認識」と考える。宇宙における人間の存在と人間における宇宙の認識は相互に一体的/表裏関係にある。⇒人間は認識能力において存在客体としての宇宙を内部化可能。情報縮減(コンパクト化)で特異点Bに内部化。人間は身体(ハード)面では宇宙の実現態であるが意識(ソフト)面つまり認識能力では依然として可能態。 |
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図ap-1 梵我一如 |
1.梗 概
(1)人間原理とは人間の存在から宇宙の構造を説明する思考法を指す。これは人間の存在が宇宙進化の必然的帰結かあるいは奇跡的偶然の賜かを巡る問題提起とも言える。本サイトは前者の立場に則して「人間は宇宙の自己認識」と考える。次にその根拠の大筋を示す。
(2)「梵我一如」との絡みから宇宙原理と人間原理を対概念として捉える。宇宙と人間の関係はそれぞれ存在と認識の関係として対応づけ可能と考える。(図ap-1参照:図e24-3から転写)(ちなみに相互参照関係は男性原理と女性原理の間でも成立する。)
(3)ここで宇宙原理とは宇宙は一様・等方かつ平坦とする仮定を指す。(実際は階層構造をなす複雑系:人間原理はこの構造解明を究極的な狙いとする:この文脈から一様・等方性は構造解明過程の初期条件に相当)
(4)これは宇宙には特別な場所は存在しないとする主張で、フリードマン・モデルと呼ばれる。
(5)但し、人間はその例外をなす特異点Sと考える。これは宇宙の「原点」を意味する。(図ct03-2
S点参照)(図csm (1)@S並びに(2)A△S参照)(ke4見当識[説明](3)参照)
(6)宇宙にはもう一つ特異点Bがあり、それはビッグ・バンである。(図ct03-2
B点参照)
(7)B→Sは一方的な時間の流れであり宇宙進化の方向つまり歴史を示す。(図ct03-2
T軸参照)(時間Tは一次元基準系で歴史は主体Sを巡る時系列空間情報と捉える)
(8)B←Sは目的論的説明あるいは超越論的解釈と呼ばれ、人間原理の要諦はこの情報縮減(コンパクト化:情報6.(6)参照)/遡源能力如何にかかる。(本サイトでは意識の拡大、ガダマーは地平融合、カントは超越論的認識と呼び、現象学や実存哲学などでもそれぞれの用語法がある。)
(9)この立場は「多世界宇宙」(多世界解釈や並行宇宙などの総称)を要請し、これは「一人一世界」の文脈とも符合する。ちなみに「一人一世界」とは主体に固有な時間を対応させる考え方でミンコフスキー時空では世界線と呼ばれる。
(10)本ページで言う人間原理とは上記(7)と(8)の止揚を指す。着目すべきはこの「時間的な双方向性」にある。
(11)
図ct03-2において時間S⇔Bと空間S⇔(B)は連動する。主体Sは時空原点S=0との一致において消滅し、これを四法印では諸法無我と言う。時間方向に関しては諸行無常の教えがあり、これは「エントロピー生成極小原理」により説明可能と考えられる。但し人間は通常これに沿わない故に苦悩を伴う。これは摩擦現象に相当し一切皆苦と呼ばれる。
(12)人間原理はanthropic
principleの訳語であり本来ならば人類原理となる。論題が宇宙進化と生命進化を巡る共役関係の解明を狙うならば両者は峻別を要する。しかし本サイトは哲学の援用によるので慣用に従って人間原理とする。
2.梗概の説明
上記梗概に説明を加えれば次の通りとなる。
(1)
人間原理を巡る事例として哲学(2)15.に示すタゴールとアインシュタインの対話を挙げたい。その論点は次のようになる。アインシュタインは”人間の認識と無関係に宇宙は存在する”(物自体の考え方)と主張する。一方、タゴールは”人間の認識なしに宇宙の存在は無意味だ”と反論する。つまりタゴールの論理は、宇宙の存在は人間の認識が前提にありこれなしに宇宙論自体も成立しない、となる。これは強い人間原理と呼ばれる立場で、宇宙という鏡に向かい合う人間を思い描けば分かりやすい。人間は鏡に自身を映し出すことなしには自身を同定できない。この存在と認識の相互関係については梵我一如あるいは思考の基本枠組みに詳述する。因みに上記両論の統合に関しては約200年以前のカントによる合理論と経験論の調停あるいは認識原理を巡るコペルニクス的転回が彷彿される。偉大な哲学者の先見の明には驚くばかりである。
(2)対概念としての宇宙原理と人間原理の関係はコインの表裏関係に例えることができる。要は両者共に単独には存在し得ない。この文脈は主体と客体の関係に相当する。この世には神や一如思想もあるがこれとて人間あっての話である。無記や神秘世界も同様である。
(3)(4)これは宇宙をマクロに捉える立場である。ミクロに人間を据えるとすれば、両者を何でどう繋ぐか埋めるか、前節(3)括弧内に示す関係性が早速問われる。これは広義の宇宙構造論を指すが、統一理論/究極理論が完成するまで当面はブラックボックスとしても我々の日常生活に何ら差し支えない。無記の冒頭に示すようにこれは人々の幸せとは直接結びつかない形而上学的問題と言えよう。
(5)(6)特異点Sも特異点Bも共に思考実験的な産物である。そのような実体が存在するか否かは誰にも分からないので《当人の選択》に任せる外ない。実はこの《当人の選択》がシステムや縮減の鍵概念つまり認識であり、そのためには何らかの基準点が必要となり、それが2点以上あれば基準線が描ける。この基準は(7)(8)との絡みで歴史法則や人間方程式への展開に道標となる。
(7)時間・空間・主体は単独に存在し得ない。ところが三者は三者の交点に同時に出現する。主体に抽象化された人間を据えて座標原点Sとする。座標領域が定義可能なら主体は生命でも物質でも構わない。この主体は哲学3.における系(システム)に相当する。ここで言う系と環境の関係は本ページで言う人間と宇宙の関係に対応する。
時間は最も抽象的概念であるにも拘らず、見当識ある人なら誰でも経験的に認識できる。それは歴史を認識できることを意味する。歴史認識とは事実解釈であり、人間は歴史からの学習を通して自身の認識能力をより確実にして将来に備えることができる。なお宇宙進化の方向は「エントロピー生成極小原理」に沿って展開される。図ap-1に赤色で示す人間原理の円錐が膨張宇宙の進化方向を表している。図ap-1の人間原理は図ct03-2
ミンコフスキー時空を時計回りに90度回転した図の簡略表現である。(7)は(8)の目的論的説明/超越論的解釈との対応関係から方法論的証明/現象論的実在とも言える。これは因果律の世界つまり時間順行や分化による進化を前提とする現代科学の立場となる。
(8)図ap-1において青色で示す宇宙原理の円錐は認識対象としての宇宙を表す。ここでの論点は時間遡行あるいは複雑性の縮減にある。前述の通りシステムの本質は環境との絡みからこの情報縮減にある。S点からB点への回帰過程は同時に(B)円へ向けての展開現象でもある。ユングはこれを共時性(シンクロニシティ)と呼んだ。目的論は方法論に比較して馴染みにくい。何故なら方法論は原因から結果を導出する時間順行的な展開であり科学の方法として一般常識に収まる。一方の目的論的接近はこれを倒錯した考え方で例えば理想型を描いてバックキャストする。つまり結果ら原因を探り出して行く時間逆行/遡源であり辿り着く先は潜在意識ないし蝶夢の世界となり、気づけばそこは霊や神の領域である。
次にその具体例を挙げる。自分はいつ死ぬのか。残された時間に何をするか。現在の与えられた条件から目的を達成する工程表はどうなるか。このような構想が人生の早い時期に描けて達成度が適切に管理できれば人間の可能性に地平が開ける。これは受験や事業や人生計画さらには人類の未来構想などにも適用できる。宗教で言う信仰や潜在意識の開発も同様で、これはプラトン哲学におけるイデア論の世界と言える。ちなみに方法論はアリストテレス哲学であり両者の統合はソクラテス哲学に相当する。
平たく言えば余計なことは忘れてしまう。これを裏返せば大切な事柄は忘れない。それは本質を瞬時に掴む才覚として結実する。歴史解釈や自己反省(introspection)なしに人間は成長も覚醒もない。これは医学的にはiPS細胞→ES細胞となり、万能細胞に戻すを意味する。つまり人間が永年求めてきた不老不死の世界に繋がる。但しこれは身体的/物質的な話に限られる。もし精神や意識までもがそうなれば人生の意味は失われる。つまり現実問題として誰もが老子に遵って赤子に還ることはできない。
(9)(10)B→S並びにB←Sに示す「時間的な双方向性」に尽くされる。これは「可能態から実現態へ並びに実現態から可能態へ」に対応する。後者の意味深長性が時間遡行を巡る内観を指す点を再度強調したい。つまり過去を巡る認識は解釈により変更可能であり、この事実確定作業は清算あるいは総括と呼ばれる。科学万能を信じる現代人はこの自省能力が退化しているようだ。
(11)この項は熱力学と仏教の知見を結合した考え方である。両者を巡る予備的知識があれば仏教と科学を巡る通底関係は明らかである。序に言えば目的論なき仏教/科学の限界がここにある。
3.結 論(暫定版)
本ページの人間原理は歴史法則や確率過程論としての人間方程式に狙いがある。それを示唆する鍵概念は創発でありその根源は「エントロピー生成極小原理」である。このモデルの定式化には対象の特定に加えて時間・空間の構造化が求められる。これはより具体的にはGISのクラウド化として展望可能である。多様なモデルと共通のデータを巡る結合つまり人間と宇宙の統合において愛は体現可能となる。結論に至るには下記4.との絡みもあり漸進的接近法によるほかない。
4.今後の課題(暫定版)
(1)
ミラーニューロン:人間が宇宙を認識できるのはミラーニューロンの働きによるのではないか?
⇒c20アダム・スミス体系の構図:共感、ミラーニューロン、『天文学史』、結合原理
、情報、目的論
(2) 宇宙モデル:
宇宙(macrocosm)⇔人間(microcosm)、⇔を階層構造で繋ぐ/埋めるなら人間モデルが要請される?宇宙原理を存在論的に一様・等方と仮定すれば人間原理は認識論的に多様・多方向となる?宇宙の存在が人間モデルとなるのか?カント墓碑銘の含意は梵我一如と同義では?特異点Sはハッブルの法則V=Hdにおける原点で、T=0ではB点と一致する?
(3) デカルトの再確認:哲学3.に示すように宗教−哲学−科学を神我系と簡略化するとき哲学史におけるデカルトの位置づけは決定的である。デカルトは針孔写真機の「孔」に比喩できる。コギトはこの孔に相当し、孔が「原点」となる。被写体としての宇宙は光が媒体となり人間に内部化される。ここで光速の克服なしに多世界解釈や間主観性やブラックエネルギーなどの主題群に進めない。つまり内的宇宙の在り方に対応して外的宇宙の感知可能領域が広がる。内的宇宙内部での模擬実験(再現)は自己検証の外なく、この意味で誰もゲーデルの定理を超えることができない。これが一人一世界でありつぎに地平融合つまり解釈の世界が広がる。
(4) 人間原理は絶対者の排除を狙うが、同時に科学信奉は宜しくない。人間原理の意義は、人間が宇宙の神秘に畏敬の念をもって向かい合い倫理意識に目覚めればそれでもう十分である。カントによる定言命法の本義はここにある。
(5) 人間原理は人類史の盲点を突いていて、宗教や哲学さらに科学と言った人類文化自体が空しく響く。何故か?答は簡単である。物事は須く為るべくして為っている。唯、幸か不幸か私たちにはその因果律の全貌が見えない。そこで結果(つまり認識された現実)から原因を遡源すれば全貌への早道ではないか。これは1.(8)の考え方で超越論的自己反省とも呼ばれ図ct03-2では(B)→S→Bの時間逆行経路に相当する。B→S→(B)の時間順行経路が宇宙原理でありここに因果律の全貌は収められている。正確には両者共に循環経路をなし(B)はそれを表す。Bは分岐点を示し必ずしもビッグバンである必要はない。Bも同様でBと(B)の一致は検証を意味する。
(6)
人間原理の告げるところによると、私たち人間は今の姿に歴史的に形造られてきた。人間のソフト面は慣習、秩序、教育、経験、真理、文化の類からなる歴史の産物である。これは「宇宙原理」の特定局面に過ぎないけど本当にそうかと疑えば疑うほど人間は圧殺されてゆく。「人間原理」は、宇宙原理を一旦肯定すれば、疑い迷う人にも生きて行ける可能性を与える。これが認識の本義であり意識の拡大の意味である。つまり「梵我一如」の要諦である。説明不足と思われるので付け加える。具体名は挙げないが
Mad Scientists と呼ばれる人々はそれまでの常識を覆したのでその当時は狂人扱いされた。しかしそれは認識の限界を広げて新たな常識とする契機となった。歴史や文化は所詮この情報/知識の積み重ねである。広辞苑によれば、知るは領るとも書く。その意味は、ある範囲の隅々まで支配する意。原義は、物をすっかり自分のものにすることという。この知るから現れる考え方は次項において詳述する。
(7) 存在が認識されない宇宙は存在しないも同然である:この見解は上記(5)の別なる表現である。5.参考資料(10)の末尾の一文も同じ主旨である。例えば”知る”という用語を調べれば明らかだ。端的に言えば人間はある情報を知るか知らないかの何れかだ。知らないから存在しないとは言えない、だから「同然」となる。カントはこれを物自体と呼んだ。2.(1)で述べたアインシュタインの主張も同じだ。宇宙の外側や時間が始まる以前さらには神の世界も同じ範疇に属する。哲学ではこれを形而上学と言い仏教では無とか空と教えている。このような対象領域は人間同士の議論に馴染まない。お互いの議論の根拠や目的が不明だからだ。
(8)
これを2.(1)でタゴールは無意味と言う。これは時間やエネルギーの無駄を指す。異文化交流の場合には言語障害に加えて価値観自体が異なるのでこのことが格別に肝要である。話を戻せば「宇宙が存在して人間がそれを認識する」よりむしろ「人間の認識程度に応じて宇宙の存在が出現する」と考える方が人間原理により近い。要約すれば宇宙は認識主体に対応してどのようにでも在り得る。人間の可能性もまた多様かつ無限である。新型インフルエンザにかかって明日死ぬかも知れないし宝くじに当たって百万長者になるかもしれない。多様とか無限は善悪の彼方と言う意味で善悪を遥かに超えている。善悪は上記(4)の定言命法によれば人間の最少要件と言う意味において原点に相当する。序に言えば倫理とはこれを自ら弁えることだ。
(9) 米国の宇宙物理学者ジョン・ホイーラーは過去が観測により変わる可能性を示した。これは「事象は観測により存在する」とする量子力学の考え方に基づく。つまり、宇宙の歴史は人間の観測により定まる。ベルの定理もこれの異なる表現で局所実在性と量子力学の背理関係を告げる。これらは本ページで示す人間原理(短く言えば因果論と目的論の同時成立)と同義になる。ちなみに観測から認識に至る知覚連鎖の一貫性がこの前提にある。科学者が観測と呼び哲学者が認識と言う 業界用語
(jargon)の差異を弁えれば万物斉同の世界が広がる。人間原理はつまるところ量子力学と超越論哲学の親和性確定が当面の狙いとなろう。
(10) 超越論的認識とシステム論の関係:認識は主体を中心として時間順行的に見れば可能性が選択されかつ構造化された意識の働きである。システムもまた可能な要素が選択された結合様式として構造を備える。この結果は空間現象的に現前に提示されているが時間逆行的な遡源経路をとっても同じ出発点に至る。後者は自己反省や目的論とも呼ばれる。光速度不変の原理
(principle of constancy of light velocity) によりミンコフスキー時空内で空間展開経路[S(B)BS]と時間逆行経路[SB(B)S]は等価である。
(11) 超越論的認識の同義語:下記の用語は基本的に同じ概念の異なる表現である。認識、複雑性の縮減、超越論的、他者性、間主観性、共同主観性、システム、選択性、目的論、オートポイエーシス(自己創出)、規定原理(自分自身の在り方を規定する原理が生物や歴史さらには自然現象にも働いているとする立場)
5.参考資料
(1) 哲学(15) (用語集)
(2) 人間原理 (Wikipedia)
(3) 人間原理とは何か:永井俊哉ドットコム
(4) 人間原理について 松原
隆彦
(5)
宇宙の人間原理 松田
卓也
(6) 宇宙論における人間原理に関する自然哲学的研究 横山
輝雄
(7) 『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』人間原理と宇宙論 青木 薫 講談社現代新書 2219
(8) 人間原理:量子論と複雑系のパラダイム プラトテレス
(9) 宇宙創成と人間原理
阿修羅
(10) 目的論的世界観と「人間原理」:創造デザイン学会
(11) マルチバースと人間原理:【ヴォイニッチの科学書】 Chapter-239
(12) 人間原理宇宙論
(13) 人間原理とは−はてなキーワード
(14)
The
Anthropic Cosmological Principle John D. Barrow, Frank
J. Tipler Oxford Univ
Pr
(15) 神の存在証明 (Wikipedia)
(16) 『ユング自伝』1&2 カール・グスタフ・ユング 河合
隼雄 訳 みずず書房
(17) 『赤の書』 C・G・ユング著/ソヌ・シャムダサーニ編 河合
俊雄 監訳 創元社