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C2−1:これまでの経済システムのあり方とこれからのあるべき経済を分けて組み立ててみること。
C2−2:商品・市場によらない経済システムのあり方。
C2−3:労働の意味。
C2−4:資本とは何か。


R2:文面から推察出来るように、このコメントはマルクス経済学の立場から電脳経済学の前身をなす小論に対して1989年11月に寄せられたものです。コメントの主旨は経済学の基礎をよく勉強して出直しなさいと言うことです。一方、筆者の問題意識は経済学の根拠を生物学や物理学に求めたうえで経済系、労働、商品、市場、資本などの再定義を試みることにありますから、これは前提を巡る見事なすれ違いと言えます。つまり、経済学の基礎に再検討を加えようとするとき、その根拠を経済学に求めるとすれば、同義反復に陥ることは自明であります。(2011/08/22追加:ゲーデルの不完全性定理は「ある体系内でその体系の無矛盾性は証明できない」と告げています。)それはさて措いてコメントはいずれも経済学の概念規定に深く関わりますので、この機会に電脳経済学の論拠を再確認したいと思います。

R2−1:経済学に対する最も正統的な接近方法は、経済学説史のレビューを通して経済学の思想と理論を学び取ることであります。申すまでもなくこれは経済学の修得に欠かせない作業でありc12経済学の系譜はそのために用意されたものです。ところが、過去200年にわたる経済学を巡る彫琢にもかかわらずe10経済問題群に挙げた課題に対しては今もって何の展望も示されていないことも一方の事実であります。

こうなると問題の所在が従来の経済学の領域を超えていると見なければなりません。つまり課題は「経済を巡る問題意識」(対象)にあるのか、はたまた「経済現象の捉え方」(方法)にあるのか、となります。これを整理すれば図ct02経済学の拡張要請のようになります。ここで「経済を巡る問題意識」(対象)とは、人々の現実の受け止め方を指しますから、民主主義社会のもとでは与件として取り扱うべきでしょう。一方、「経済現象の捉え方」(方法)についてはエコノミストによって然るべき方法論が示されるべきだと思われます。これを仮に経済学の拡張要請と呼びましょう。
この拡張要請に応える有力な方法は歴史を遡ることであり、それをe32経済社会の進展過程に示します。「急がば回れ」と言いますから迂遠のようでも自然−生命−人間−消費−労働−生産…とその出現の順序を辿ります。この経済学再考の手順はそのまま基本概念の規定となります。


経済学の拡張要請

図ct02 経済学の拡張要請

R2−2:これはマルクスが描いた理想社会を指すものですが、このような商品・市場によらない経済システムは成立し得ません。財の分配に関しては強奪・贈与・交換の形式が考えられますが(ボールディングは脅迫・統合・交換を、ポランニーは互酬・再分配・交換を挙げています。)計画経済は基本的にこの強奪と贈与を計画当局が国家組織を通して執行するものです。一方、交換は納得した当事者間における財の相互移転を指します。ここで納得とは交換過程におけるコミュニケーションの結果を 双方が受け入れる心的態度を指します。経済行為の目的はまさにこの「納得」にあり、生活資料の獲得はむしろ第二義的な位置付けと見るべきです。交換を抜きにして経済系は成立しないとする主張の根拠はd20交換モデルに詳しく述べています。

R2−3:労働にはエネルギーの側面と情報の側面があります。従来の労働観はエネルギーの側面を強調してきました。しかし労働過程の内実はエントロピー処理と情報移転にあります。この過程においてエネルギー消費は不可欠であり、労働生産性は単位エネルギー当りのエントロピー処理量あるいは情報獲得量の関係から捉えるべきです。このことについてはコメントC1-2でも触れていますが、詳細はb50熱交換器の原理およびb52経済要素の変換過程に述べる通りです。

なお、コメントR6-1で触れている「収穫逓増の法則」は、この情報移転を通しての情報集約を指します。情報についてはji1情報並びにb30物理要素とは何かにおいて詳しく論じています。労働の内実は人間意識の外部化にあり、一方交換の意義は外部情報の内部化にあります。人間労働の本来的な意味は、この内的世界と外的世界との間における情報のやり取りにあります。この文脈から人間の解放に結びつかない労働には意味がないし、社会もまたその方向において編成されるべきであります。前者においては納得が、後者においては透明性が鍵概念を与える点を強調したいと思います。

R2−4:資本を樹木に例えれば商品は果実に相当すると言えます。しかし、ここで樹木とは樹根を含むのか、土壌や水分さらには大気や日射はどうなるのかと際限ない広がりが認められます。これがまさしく環境問題そのものに外なりません。資本と環境の間には本来切れ目を入れることは出来ませんが、現実社会においては領土、所有、管理などの名目で便宜的な境界が設けられています。さらに資本は生産資本のみに限定することも出来ません。家計資本や人間資本の考え方もすでに示されています。こうして突き詰めて行くと経済学は資本の定義と同義になってしまいます。この意味においてマルクスの着眼は正鵠を得たものでした。電脳経済学ではd40資本モデルからd70経済過程の一般形式にかけて資本に関する予備的な検討を加えました。もとより日暮れて道遠しの感じですが。

なお資本モデルにおけるZ軸とX−Y面の関係は、企業会計における「貸借対照表」と「損益計算書」の関係に相当し前者はストックを後者はフローを表現しています。21世紀初頭の近い将来においてCALS/ECの方法が地球規模で普及し、同時に統一的な会計方式が確立されると推察されますから、それは 国際公共財を含む経済活動の全局面が地球規模で数量的・通貨的に記述されることを意味します。