電脳経済学v5> f用語集> dt デカルト (v5) (当初作成:2008年08月01日)(一部追加:2008年08月04日)
1.梗 概
(1)ルネ・デカルト (Rene Descartes:
1596.3.31-1650.2.11)
(2)フランスの哲学者・数学者。近世哲学の祖・解析幾何学の創始者。
(3)「明晰判明」を真理の基準とする。あらゆる知識の絶対確実な基礎を求めるべく「方法的懐疑」によって一切を方法的に疑った後に疑い得ぬ確実な真理として「考える自己」を見出す。この「我思う、故に我あり」(ときに「コギト」と略称:
cogito, ergo sum: I think, therefore I am) の命題によって哲学の第一原理を確立した。
(4)
「神の誠実」から神の存在を基礎づけ外界の存在を証明した。
(5)さらに、この「思惟する精神」と「延長ある物体」とを相互に独立な実体とする「心身二元論」に基づく哲学体系を樹立した。
2.説 明
(1) はじめに:
上記梗概並びに下表の出所は大辞泉、広辞苑、ブリタニカ国際大百科事典、平凡社大百科事典、下記参考資料などであるが筆者の責任において大胆な圧縮を加えた。(2)以下の狙いはデカルト哲学の説明自体ではなく、その個人的な解釈を電脳経済学文脈との絡みにおいて示すものである。したがってデカルト哲学並びに電脳経済学に関する一定の予備的な知識が前提となる。
表dt-1
デカルトの生涯(1596−1650) |
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1596 3月にフランス中西部トゥーレーヌ州ラ・エーに生まる。父は法服貴族(地方高等法院評定官)で病弱な母はデカルト出生の13ヶ月後に他界、祖母と乳母により育てられる。 |
1623 2年間にわたりイタリアを旅行。 |
(2) 時代背景を概観すれば:
デカルト没後358年の現代に生きるわれわれにとってデカルトの時代を想像することは至難の業である。しかしc20-2スミスの生涯においても述べたように時空を超えるこの作業抜きにデカルトを理解することは出来ない。e40文明史年表並びにe42近代史上の主要人物 思想・文学欄/自然科学欄を参照するとデカルトが生きた17世紀はルネッサンス末期に相当する。デカルト前史の出来事はグーテンベルク活版印刷術発明、コロンブス新大陸発見、ルター宗教改革などがある。後史は一連の近代市民革命並びに産業革命へと続きその地球規模への展開を経つつ今日に至る。科学史との絡みではデカルト/パスカルはガリレイ/ケプラーとニュートン/ライプニッツを跨いでいる。最近の研究によればニュートンはデカルトの『哲学原理』を熱心に読んだことが明らかになった。デカルトとニュートンは機械論的な世界観や神を巡る宗教観などの基本認識において共通している。
(3) 哲学史における位置づけ:
近世哲学は自然科学の発展と密接な相互関係のもとに展開した。すなわち哲学は自然科学から実験と観察による結果を整理して体系化を進めるという新しい思考方法を取り入れ、一方の自然科学は哲学によって基礎づけられた方法論を拠り所に論理実証的な積み重ねを経て確立されていった。この新しい思考方法による近世哲学には二つの大きな潮流がある。一つは帰納法に基づくイギリス経験論の流れであり、他は演繹法に基づくフランス理性論(合理論ともいう)の流れである。
イギリス経験論の流れは遠くは中世のロジャー=ベーコンに遡り、
近世では先ずフランシス=ベーコンに始まりホッブス、ロック、バークレー、ヒュームと続く。一方のフランス理性論はデカルトを祖としてオランダ人のスピノザ、ドイツ人のライプニッツ、フランス人のパスカルなどによって知性重視の大陸合理論として批判的に継承展開された。両者はカントによる調停を経てドイツ観念論へと統合され、さらにヘーゲルによって弁証法的に体系化されて西欧哲学史の主流を形成して行く。蛇足ながら個人的にはニーチェ、ウィトゲンンシュタインからフーコー、デリダへの流れを主軸に据えて、これの動物行動学/分子人類学的フェミニズムへの取り付けを関心領域とする。このように哲学史の流れを人類の未来像に投影しながら次節以降においてデカルト哲学の今日的な捉え直しを巡り考察を加える。
(4) デカルト哲学の要諦を整理する:
「考える主体」としての「自己の存在」を定式化したデカルトによる命題「我思う、故に我あり」は哲学史のうえで最もよく知られている。先ず主語の「我」は自己を指すが、ここで我は「考える主体としての自己」に特定される。さらにこの「考える主体」は1.(5)でいう「思惟する精神」でもある。次に述語の「思う」は「思惟する」あるいは「考える」とほぼ同義であるがその意識作用の内実は真偽を「疑う」であり結局は「対象を否定する」に通じる。これを反転すれば「肯定すべきは否定できない自己のみ」となり「方法的懐疑」はここに「故に我あり」をもって完結する。つまりデカルト体系の「主観/客観構図」においては、主観が肯定され客観が否定される。デカルトが「独我論」と呼ばれ結果的に「他者問題」が提起される所以である。ちなみに本サイトでは「あるがまま」を基調に主客肯定の立場をとり「一人一世界」による棲み分けから「梵我一如」に至るとする。
デカルト構図はソクラテスとダイモニオン像の譬え話に示される。同頁にあるゴルフのイラストを用いて「方法的懐疑」について補足説明を試みる。ティーグランドに立つプレイヤーから見れば谷や池や林さらにはラフやバンカーなどのハザードばかりが目に入る。これらはみな「否」である。グリーンオンといえども次善であり本来の狙いはカップインのみである。カップが肯定されそれ以外はことごとく否定される。つまりカップは基準系の「原点」に相当する。デカルトは我をティーグランドからカップの中心点に移動させ新たな我とした。この手続きが「方法的懐疑」である。カップの中心点から見渡したゴルフコースの展望が新しい世界でありこの立場が「明晰判明」と呼ばれる真理の基準となる。このように「考える自己」を原点に据えると世界の見え方が変ってくる。それは神の存在と何ら矛盾することはなく、これを彼は「神の誠実」と呼ぶ。原点から同心円的な広がりの彼方に神が存在しても、それは原点における「考える自己」と共存可能である。この考え方は「神仏混淆」思想の時空的表現と言える。1.(5)における「思惟する精神」と「延長ある物体」はそれぞれ「我」と「世界」とに対応する。この帰結として両者を相互に独立な実体とする「心身二元論」が成立する。これは精神と物質や文化と自然という機械論的な対立関係から昂じて人間自体の分裂状態を招来した。
3.結 論
(1) 自然を数学的に解明する:
デカルトは1618年11月10日にオランダで数学者ベークマンと出会い「自然を数学的に解明する可能性」に対して開眼した。この数学的明証性を巡る確信が丸1年後1619年11月10日夜の「炉部屋」における真理探求に生涯を捧げる啓示的決意に結びついて行く。しかしその後のデカルトはこれらの公表に極めて慎重であった。つまり18年後の1637年に至ってオランダで著者名なしで初めて『方法序説』を出版した。これは法服貴族の家に育った名門校の法学士としての矜持からガリレイの轍を踏まないための配慮と思われる。
(2) 演繹法と帰納法:
演繹法と帰納法はd20-3 D共役的写像関係にあり相互に検証の対象となる。図c20-3にその関係を示す。図形処理の知見を借りれば演繹法と帰納法はそれぞれベクトル形式とラスター形式に対応する。これはむしろ解析学と統計学の統合問題である。相対論と量子論あるいは連続量と離散量も同様の関係にある。しかし数学の範疇に属するこれら問題はゲーデルの定理により完結できないことが証明されている。つまり自然は数学的/物理的に近似表現はできても厳密には解明できない。これができるのは論理学のみとされる。しかし例えば完全な記号論理学と量子計算機によったとしても次節の理由で現実問題に適用できるとは考えられない。なぜなら自然の解明により必然性が証明されてもそれは研究者の自己満足にとどまり、人々の安寧や幸福さらには人生の意味や人間の解放に結びつかないからである。つまり倫理なしに人間原理は成立しない。
(3) 宗教と二元論:
宗教には無神教・一神教・多神教があり、自然数には0・1・nがある。(通常0は自然数に入れないが最近の数学者のなかには入れる人もある。) ここで0は原点であり基準となる「位置」を示すだけで、この文脈から方法論は0に収斂する。精神と物質の関係は情報とエネルギーの関係同様に相互に還元不可能とする立場があるが、量子論/超ひも理論まで遡れば両者は還元可能となる。二元論や演繹法は古典命題論理を前提に成立し矛盾の有無が真偽判断の根拠となる。一方、矛盾・妥協・誤差・遊びなどさらには無知・狂気・錯誤の類までが遍在しなければ現実世界や意味論/価値論なども成立しない。この曖昧さや部分知からなる中間域を認める論理的立場は反実在論/直観主義論理と呼ばれる。
哲学や科学は西欧文明の産物であり無から有は生じないとしてきた。しかし東洋思想や仏教では有無相通じるとか一即一切、一切即一などの融通無碍を得意とする。デカルトは「心身二元論」を説いたが仏教では「身心一如」(psychosomatic
integrality)と教えている。つまりデカルト哲学は仏教三法印の諸法無我などと本質において背理的関係にある。この理由は、認識主体はデカルトによって「考える人」となったが、一方の認識客体は「神の誠実」に依存のまま故である。哲学(3)考察と結論においてデカルトを変換点として「神我系」の「我」に対応させた理由はここにある。ちなみに諸法無我は関係性の文脈から世界/系を位置づける立場であり次節における「自然界における人間の相対化」と文脈を同じくする。
(4) 人間中心主義の限界:
デカルトは人間中心主義の基本原理を確立した。しかし地球環境問題や各種社会病理現象に明らかなように今日の現実世界では人間性の限界が顕在化している。これは万物の霊長としての自負心と裏腹に人類もまた地球生命系を構成する凡庸な生物の一種である事実を告げている。つまり神の被造物にはさまざまな存在様式があり得るので人間もこの際自身を再定義して自然界における相対化が要請される。人間の可能性は無限とされるが人間には寿命や煩悩がありその能力は有限である。「良識」はこの世で本当に公平に配分されているだろうか。デカルトは「神の誠実」を前提に演繹的な推論を展開したが、「神は狡猾であり」その実相は人間の認識能力を超えるのではないか。世界は不可知であり科学もまたその茫漠たる海に浮かぶ部分知ではないか。現代人は理性過信という生活習慣病を患っているようだ。
4.参考資料
(1) ルネ・デカルト (Wikipedia)
(2) 哲学 (用語集)
(3)
『方法序説』 デカルト 谷川
多佳子訳 岩波文庫 青613-1
(4) シリーズ・哲学のエッセンス 『デカルト』 斎藤
慶典 NHK出版
(5) 人と思想J 『デカルト』 伊藤
勝彦 清水書院
(6) 『デカルトの哲学』 小泉 義之 人文書院
(7) 『デカルト座標システム』 システム論システム 永井俊哉