電脳経済学v5> f用語集> fc 金融危機 (Financial crisis) (v5) (当初作成:2008年11月08日)(一部追加5.3para:2008年12月01日)
1.はじめに
「金融危機」の深刻な衝撃がまたたく間に世界的な広がりを見せている。記録的な円高株安や信用不安として日本経済の根幹を揺るがしその影響はついに私たちの日常生活を脅かすまでに至っている。今回の金融危機は本サイトにとって現実問題との係りを検証すべき機会と捉えて取り急ぎ本ページを追加した。この狙いのもとで金融危機を巡る根本原因について代謝モデルと絡めて究明を試みた。このような事情から直接的な有用性は保証できないが間接的にはお役にたてると確信している。リンクはなるべく飛ばして読み進み、説明不足や飛躍は行間から真意を汲み取って頂ければと念じている。
2.今何が起きているのか
サブプライムショックに端を発した米証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻は2008年9月15日であった。アメリカ発の金融危機は瞬時にして国際金融市場を駆け巡り世界経済に与えた衝撃は「1929年の世界恐慌」に対比されその動揺が津波のように全世界を襲っている。久しくグローバル経済を牽引してきたアメリカの「金融資本主義」に今何が起きているのか。世界経済はこれからどうなるのか。日本はこれにどう向かい合うべきか。そして何よりその原因は那辺にあるのか考察を巡らした。
サブプライムローン問題は日本が経験した土地バブルに類似していて比喩的にいえば今後の地球経済は成長神話期から定常運行期に移行すると考えられる。米国主導になる世界経済のシナリオによれば金融工学とリスク管理の知見を駆使してハイリスクハイリターンの金融商品を中心とする金融ビジネスモデルを開発運用して経済成長の恩恵を全世界に分かち与えてきた。しかし証券化商品の価値下落に伴う信用収縮により資金繰りが行詰まり金融市場が機能不全に陥った。そこで各国の金融当局は実体経済をも巻き込んだ負のスパイラルが深刻化する事態を回避すべく金融機関への資本注入などの公的支援対策を急いでいる。
3.どこに原因があるのか
金融危機の原因は次の3項目に大別できる。
(1)職業倫理の問題:
ノーブレス・オブリージュ(noblesse
oblige)という。”高い身分にある者にはそれなりの義務が伴う”が本来の意味であるが、これには皮肉も込められている。倫理は規範や道徳の根源をなし社会秩序最後の拠り所となる。これは性善説の立場である。一方の理論・制度・政策・運用などは性悪説を前提に成立する。関係者の職位人選と倫理要因との絡みについてグリーンスパン前議長の場合について考えてみる。
(2)経済理論の問題:
今日における世界経済の大筋はケインズ体系に準拠している。このもとでのマクロ経済運営は財政政策主導か金融政策主導かに二分される。前者はサムエルソンを旗頭とするケインジアン派であり後者はフリードマンを宗主とするマネタリスト派で両者は対立的拮抗関係にある。金融危機に対するサムエルソン教授の見解を下敷きにしてケインズ理論に遡り根本問題の摘出を試みる。
(3)資本主義の問題:
資本主義を定義する場合に反立として社会主義が定式化される。両者は財の所有形態と調整原理の組み合わせから定まる。しかし時代の要請である環境問題/南北問題/格差問題などに関しては両者共に絶望的にまで無力である。その結果、現実の経済は過度に政治に依存している。かといって過去を否定しても未来は開けないので、ここでは現行の資本主義を次の展開から捉えて考察を加えたい。@商業資本主義 A産業資本主義 B金融資本主義 C知識資本主義とすれば金融危機はBからCへの移行に伴う過渡現象と理解できる。ちなみに1929年の世界恐慌はAからBへの移行期に対応する。つまり批判の対象は資本主義ではなく、その流れを読み取れない蒙昧主義者となる。
4.職業倫理の問題:グリーンスパン前議長の場合を考える
(1)金融政策で過ち犯した:
グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長は2008年10月23日、下院公聴会で行われた議会証言の質疑応答で、金融機関への規制・監督について「過ちを犯した」と述べて、自らの在任期間中の政策運営について誤りがあったことを初めて認めた。グリーンスパン前議長はこれまで「低所得者向け高金利住宅ローン(サブプライムローン)問題を予見することはできず、当時の政策に誤りはなかった」と繰り返し述べていた。
グリーンスパン前議長は、2006年1月まで18年余の議長在任中は「マエストロ(巨匠)」と呼ばれ、政策手腕を高く評価されてきたが、サブプライム問題に伴う市場の混乱長期化で、当時の低金利政策や規制の甘さに対する批判が強まっていた。下院政府改革委員会のワックスマン委員長(民主党)が「FRBはサブプライム絡みの融資過熱を止める権限を持ちながら行使しなかったのではないか」と問いただしたのに対し、グリーンスパン前議長は「金融機関に自社の利益を追求させることが、結果的に株主保護につながると考えていた。今振り返れば過ちだった」と述べた。
また、デリバティブ(金融派生商品)の一種「クレジット・デフォルト・スワップ」(CDS)の取引を規制しなかったことについても「一部、間違いがあった」と認めた。CDSは、企業向け融資や証券化商品が焦げ付いた際に損失を肩代わりする商品。今年6月末時点の取引残高が世界で54兆6000億ドル(約5300兆円)にのぼっており、米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻以降の金融市場混乱の一因と見られている。
(出所:http://mainichi.jp/life/money/news/20081024k0000e020018000c.html)
(2)欲望と倫理のバランス:
グリーンスパン前議長はマネタリストの経済学者として1987年から2006年までの18年間にわたりレーガン大統領以降4代の大統領のもとで第13代連邦準備制度(FRB:アメリカの中央銀行)議長の地位にあった。この期間は米国経済の黄金時代と重なり合って彼の手腕は「金融の神様」と各方面から絶賛された。しかし今回の金融危機以降は前項のように金融関係の最高責任者として戦犯扱いされている。同じ人間がなぜ一朝にして神様から戦犯になるのか。60年前になるが極東国際軍事裁判を巡る顛末について鮮明に記憶している世代の一人として世の毀誉褒貶の激しさに驚くばかりである。つまりグリーンスパン前議長は金融界の代表者として名前を挙げたまででこれから先は人間一般の性向に還元して話を進めたい。
人間の欲望には限りがない。しかしその欲望を充足させる手段には限りがある。ここから欲望と手段の間に対立関係が生じこれを経済問題という。これを解消し持続的かつ平和的に調和させるために経済秩序が解明・維持される必要がある。これは「希少性の原理」による経済学の立場である。両者間の葛藤をなだめる方法として古来「知足安分」が説かれる。しかし誰もこれを強要できないので最後は倫理意識の問題に帰着する。デカルトは『方法序説』[参考資料(5)]の冒頭で”良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである”と述べている。良識(bon
sens)は「正しい分別」や「理性」と訳されるが筆者は「徳」「良心」あるいは「倫理観」を指すと解釈している。人間はそれなりの善悪判断はできても欲望や誘惑にはやはり弱い。人格に土台を与える教育に知育・徳育・体育・美育にわたる均衡が求められる。
(3)マネタリストと新自由主義:
現代経済学は大筋において「図c10
経済学の流れ」最右欄に示すように財政政策派(ケインジアン)主導か金融政策派(マネタリスト)主導かの対立的選択関係のもとで運営されている。両派の理論的争点は経済過程を巡る貨幣観の相違にある。マネタリストは集計需要決定における貨幣供給の優位を強調する。これを単純化すれば「通貨管理に専念してその外は自由市場に任せよ」と主張する。一方のケインジアンは貨幣以外にも政府支出、税金、輸出額などからなる財政政策が経済現象に影響するという。両者は最終的には「小さな政府」か「大きな政府」かの政策選択に帰する。
ケインズは貨幣数量説から出発して流動性選好説に至りその考え方はIS-LM分析として整理される。一方、フリードマンに代表されるマネタリストの主張は流動性選好説を取り入れた貨幣数量説である。つまり経済成長に合わせてインフレーションを制御しながら貨幣供給を増やす。貨幣供給を増やせば利子率は下落し投資や産出量は増加し所得も上昇する。何れにしても両者は共通の限界理論から出発して結局はケインズ理論の図式に収まる。金融危機の原因は両者の差異から論じられるが事の内実は理論モデル自体の陳腐化にあると見るべきである。
5.経済理論の問題:サムエルソン教授の見解を下敷きにして
ポール・サムエルソン教授に関しては多言無用であろう。現在、齢93歳にしてなお矍鑠かつ舌鋒鋭い指摘[参考資料(1)]には脱帽のほかない。見出しによれば「規制緩和と金融工学が元凶」とある。「赤字いとわぬ財政支出
不可欠」「米政治、民主党主導へ転換必至」と続く。記事の内容にはあえて踏み込まない。何故なら彼の業績や著作から類推される思想と記事の内容が完全に一致しているからである。したがってここでは彼の『サムエルソン経済学上下』[参考資料(2)]から関係部分を引用のうえ参照したい。
ケインズ体系の要諦(図c35)つまりサムエルソン経済学の中心命題は『サムエルソン経済学』下p737「第31-1図
一般均衡的価格付けが、経済全体について〈何を〉〈いかに〉そして〈誰のために〉を決定する」に集約されている。同図は「図c30
市場経済の仕組み(現行経済モデル)」の市場部分に「図c32
価格決定機構」を組み込んだ表現となっている。ところが、この現行経済モデルは閉鎖系2部門モデルであり現実を説明していない。これが電脳経済学の基本的な主張である。その幾つかの根拠の中から次の2点を取り上げたい。その1は土地・労働・資本からなる生産要素が”生産要素市場として一括り”に扱われている点である。とりわけ肝心の金融商品は商品か資本かその位置づけが不明確である。その2は貨幣循環の供給源が示されていない点である。つまり経済主体としての政府による公的関与の仕組みが現れない。これらSyntax
Errorsの修正なしに下位の関連Errorへの言及は無意味であろう。それとも逐一克明にDebugすべきか。
なお蛇足ながら厳密にいえばケインズ体系の要諦とは図c35における「資本の限界効率」を指しこれは内部収益率(IRR)により算定可能である。「長期利子率」ならびに「政府需要」も大本は「資本の限界効率」に発生しているのでこれに還元可能であり本来還元すべきである。この文脈は新自由主義的であるが、一方ケインズ体系に準拠してもサムエルソン教授の指摘どおり金融工学に問題が残る。つまりケインズ理論は二重の意味で金融危機問題は三重の意味で再検討を要する。
6.資本主義の問題:資本主義の展開過程を概観する
現行の資本主義経済を下記展開から捉えるに際して次の3項目に着目したい。
@商業資本主義 A産業資本主義 B金融資本主義 C知識資本主義
(1)近代国家の枠組み:
上記展開の背後には政治・外交・戦争の歴史がある。つまり資本主義経済は近代国家の枠組みのもとで成立し発展してきた。地球表面の陸地が領土として区分されそこに国民と主権が存在する。一方、経済活動はその進展に伴って領土内で完結不能に陥り資源と市場を求めて外展開の道を辿りそれは貿易を逸脱して時として暴力を伴う展開となる。経済は揺籃期には苗木のように国家に守られて育つが成長を遂げると国家は却って桎梏となる。経済は本来生物進化的で自由空間を求め無政府的である。歴史的必然として国家は経済に従属し役割りを終えた国家はあたかも親子関係のように緩やかな解体を経ながら消滅に向う。但し人間の本性に照らして政治は人間と共に永遠である。つまり汎地球的経済過程を描いてそこで人類共同体のあり得る姿を見定めてボーダーレス経済を巡る地平融合に進むべきである。前記の倫理意識がここで必須条件となり、この文脈と絡んでレヴィナスが要請される。
(2)可塑性の含意:
ケインズ革命の意義はセイ法則の否定に加えて流動性選好説にある。流動性とは貨幣を手放す便益を指すがケインズはこれを利子率として数量化可能とした。この論法は可塑性概念の援用により財一般に演繹可能と考えられる。ちなみに可塑性とは変形容易性を意味し経済過程は物理的に見れば変形処理過程となる。この狙いは経済過程と価値付加過程の関係を物質循環過程とエネルギー変換過程に対応させる点にある。こうして熱の発生量極小化の定式化可能となり、これは可塑性をパラメータとする単位エネルギー当りの価値創出量算定法としても同義である。地産地消やフードマイレージはその卑近な例である。定義により可塑性は土地が最小となり意識が最大となる。随所で地理情報システム(GIS)の意味深長性を強調する根拠はここにある。結論的に次のようにいえる。GISをツールとし可塑性をパラメータとすれば土地と金融は結合可能である。両者にエコロジカル・フットプリント(EF)と経済をそれぞれ対応させれば汎地球的な環境政策と格差是正への道筋が開けよう。ちなみに上記”熱の発生量極小化の定式化”はイリヤ・プリゴジンによる”エントロピー生成極小の定理”と同義である。
(3)知識資本主義とは何か:
知識資本主義の用語はまだ定着していないが最も身近な事例は情報技術産業である。情報・知識・意識の相互関係については割愛するが貨幣が情報の担体である事実だけは再確認したい。交換モデルに示すように交換行為/市場機能は人間意識つまり価値観を形成する。金融危機は私たちに再び「見えざる手」の真義を開示した。それは@経済学を巡る理論・制度面の不備、A審級性基準なきマネーゲームの帰結、A職業倫理意識の欠落、B環境問題の表面化などである。
7.参考資料
(1) 経済危機の行方=ポール・サミュエルソン=朝日新聞朝刊2008年10月25日3面
(2) 『サムエルソン経済学』上・下
[原書第13版] P. サムエルソン W. ノードハウス著 都留 重人訳 岩波書店
(3) 『世界金融危機』 金子
勝 アンドリュー・デヴィット 岩波ブックレットN0.740 岩波書店